「上杉謙信」と言えば「越後の虎」という異名を持ち、卓越した軍才とカリスマ性を発揮したことで有名です。謙信もまた他の大名と同じように時期に応じて家紋を何度か変更しています。具体的には、どのような家紋を使っていたのでしょうか?
この記事では、上杉謙信が使っていた家紋の名称について紹介しています。日本の歴史について興味のある人たちは参考にしてみてください。
上杉謙信が使った家紋の名前一覧【画像付き】
さて、上杉謙信はどのような家紋を使っていたのでしょうか?
謙信は5つの家紋を使っていました。ここでは、それぞれの特徴について説明していきます。
その1 九曜巴
第1に、上杉謙信が「長尾景虎」と名乗っていた時代は「九曜巴(くようどもえ)」を家紋として使っていました。
実のところ、「上杉謙信」という名前は「上杉憲政」という主家筋から家督を譲られた際に改名してできたものです。もともとは、長尾氏に属しており、長尾景虎と名乗っていました。この長尾の一族が使っていた家紋が「九曜紋」でした。
この九曜紋に八幡宮や八幡神社の神紋である巴紋が融合して生まれたのが「九曜巴」です。八幡信仰の象徴とも言われる「巴」が掲げられているのは、一族の信仰心を反映しているのかもしれません。なお、戦国武将の板倉勝重、長尾政景も使用していました。
その2 竹笹の丸に雀
第2に、長尾景虎から上杉謙信に名前を変えたときに使用し始めたのが「竹笹の丸に雀」の家紋です。
上杉家が古くから使っていた「勧修寺」の神紋よりも格を下げるために、雀を1羽除いてデザインされた家紋です。先述のとおり、謙信は養子ですから、「よそ者」として本家本元の一族に気を遣っていたのでしょう。おそらく、家督を譲り受けたことを喜ばない者もいたのかもしれません。
その3 十六菊(じゅうろくきく)と五七桐(ごしちきり)
第3に、上杉謙信は密かに天皇と拝謁する機会を得ており、いつの日か京都を制圧して皇室を守ることを約束したことから「十六菊」と「五七桐」を与えられていました。
歴史的にも、天皇と深い関係にある人たちは、菊紋と桐紋を得ています。上杉謙信もまた織田信長や豊臣秀吉と同じように天皇家と深い関わりがあったことを示す家紋となっています。
そして、最終的には、五七桐をアレンジして「上杉桐」という独自の家紋をデザインしています。これは、天皇家に対する謙信なりの忠義を表したものなのかもしれません。
上杉家と伊達家の家紋に共通すること
なお、上杉家と伊達家の家紋は、雀をモチーフにしていることで共通しています。
伊達家で使われている家紋は「仙台笹」と呼ばれています。具体的には、竹輪を外を覆うように笹の葉を配置し、その中に2羽の雀を向かい合わせに描いています。元々は、関東管領家の名門上杉氏からもらった「竹に雀」の家紋に独自性を与えた形なわけです。
伊達政宗の曽祖父である稙宗の三男・実元が上杉家に養子になるという話をきっかけに、竹に雀の家紋が与えられたと言われています。すなわち、上杉家と伊達家には、大きな繋がりがあったわけです。
結局のところ、養子の話は破断となりましたが、以後も家紋として使われていることから関係性は良好だったと考えられます。
家紋の変化は上杉謙信の外交力を物語っている
上杉謙信が使っていた家紋の変化を見ると、彼の外交力がいかに優れていたかがわかります。そもそも、家督を譲られるほどの人物ですから、他人から信頼される人間力を兼ね備えていたのことは明らかです。
「策士策に溺れる」という金言があるように、知性だけでは人はついてきません。他者を慮る責任感と使命感がある謙信だからこそ、今日に至るまで知らない人はいないほど名を轟かせたのでしょう。
参考文献一覧
- 『決定版 知れば知るほど面白い!家紋と名字』綱本光悦 西東社
- 『面白いほどよくわかる 家紋のすべて 安達史人』日本文芸社
- 『家紋から日本の歴史をさぐる』インデックス編集部 ごま書房
- 『日本の家紋事典 由来と解説』大隈三好 金園社
- 『知識ゼロからの日本の家紋 入門』楠戸義昭 幻冬社
- 『KAMON DB』https://kamon-db.net/
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