第二次世界大戦中、中国東北部(旧満州)に存在した日本軍の特殊部隊「731部隊」について、その実態と行われた人体実験の内容、そして当時の証拠写真の有無について詳細に解説します。
歴史の暗部として長く語られてきたこの部隊の全容と、なぜその行為が戦争犯罪として認識されているのかを明らかにします。
731部隊とは?
731部隊(ななさんいちぶたい)は、第二次世界大戦期の大日本帝国陸軍に存在した研究機関でした。正式名称は「関東軍防疫給水部」(関東軍防疫部から改称)で、731部隊という名は、その秘匿名称(通称号)である「満洲第七三一部隊」の略称です1。当初は初代部隊長である石井四郎の名を取って「石井部隊」とも呼ばれていました。
この部隊は1940年7月に正式に創設されましたが、その前身となる組織は1936年頃から活動していたとされています1。拠点を中国のハルビン近郊に置き、表向きは兵士の感染症予防や衛生的な給水体制の研究を主任務としていました。しかし実際には、細菌戦に使用する生物兵器の研究・開発が行われていたのです1。
特筆すべきは、731部隊は天皇の勅令によって設立された唯一の部隊であり、天皇の弟である三笠宮崇仁親王が部隊の将校として勤務していたという事実も韓国の資料には記録されています7。これは当時の日本の最高権力が、この部隊の活動を認識していた可能性を示唆しています。
731部隊は何をした?
731部隊の活動は、表向きの任務と実際の行為との間に大きな乖離がありました。彼らの本当の活動内容は以下のようなものでした。
その1 生物兵器の研究開発
731部隊の主な目的は生物兵器の開発でした。コレラ、ペスト、炭疽菌など様々な病原体を研究し、それらを効果的に兵器として使用する方法を模索していました。部隊はこれらの病原体を培養し、日中戦争が始まると中国戦線の各地に設置された関連部隊を通じて実戦で使用していったのです。
その2 人体実験の実施
生物兵器開発の過程で、捕虜や一般市民を強制的に「実験材料」として使用していました。これらの被験者は「マルタ(丸太)」という隠語で呼ばれ、木材のように非人間的に扱われました1。マルタとされた人々は主に中国人、朝鮮人、モンゴル人、ロシア人、アメリカ人などの捕虜やスパイ容疑者でした1。
ハバロフスク裁判での川島清軍医少将(731部隊第4部長)の証言によると、これらの実験による犠牲者は3,000人以上にのぼるとされています。終戦時には、生存していた40-50人の「マルタ」が証拠隠滅のために殺害されたとも言われています。
その3 生物兵器の実戦使用
開発された生物兵器は実際に中国の戦場で使用されました。石井四郎の指揮のもと、ペスト菌を感染させたノミを散布したり、炭疽菌爆弾を投下するなどの作戦が実行されたことが、柄沢十三夫(731部隊の細菌製造部第1班班長)と川島清の証言で明らかになっています。
731部隊が実行した人体実験の内容まとめ
731部隊が行った人体実験は多岐にわたり、その残虐性は言葉で表現するのが難しいほどです。以下に、主な実験の内容を紹介します。
その1 生理学的実験
731部隊では、人体がどこまで極限状態に耐えられるかを調査する生理学的実験が頻繁に行われました。元731部隊員の証言によれば、以下のような実験が行われていました:
- ガス壊疽実験:様々な有毒ガスを人体に使用し、その影響を観察しました。元部隊員の越定男によれば、ガラスで覆われた特別な部屋でイペリット、ホスゲン、ルイサイト、青酸ガス、一酸化炭素ガスなどが使用されていました1。
- 凍傷実験:被験者を極寒の環境に置き、凍傷の進行過程を観察する実験が行われました。元部隊の印刷部員だった上園直二は、白系ロシア人の男性2名が裸で冷凍室に入れられ、死亡する過程を撮影されている光景を目撃したと証言しています1。
- 銃弾実験:様々な距離から被験者に向けて発砲し、その致死効果を調査していました7。
- スタミナ実験:1935年から1936年にかけて背陰河の東郷部隊に傭人として勤めた栗原義雄は、水だけを飲ませて何日生きられるかという耐久実験をやらされたと回想しています1。
その2 生体解剖
元少年隊員の清水英男さん(93)の証言によれば、731部隊の標本室には、ホルマリン漬けにされた人間の臓器の標本が並べられていました。それらは「マルタ」の生体解剖実験で得られたものでした。
「ロ号棟」で衛生伍長をしていた大川福松は、一日に2〜3体、多い時は1日5体を生体解剖したと証言しています。また、彼は子持ちの慰安婦を解剖したこと、母が死んだ後にその子どもは凍傷の実験台に使用したことなども証言しています。
その3 細菌感染実験
人体に直接細菌を注射して、その症状や経過を観察する実験が行われました。中国人五人をペストに感染させて免疫能力を測る実験では、一人は生きながら頸動脈に沿って切開され、呼吸が止まった後、臓器は切り刻まれたという証言もあります。
また、清水英男さんは自身も知らぬ間に実験台にされていたと証言しています。上官から差し入れられたパンを食べた後、42度3分の高熱を出し、1週間寝込んだものの、その間は体温と脈拍を測るだけで治療は行われなかったといいます。
その4 性病実験
ジャーナリストの西野瑠美子がある元隊員にインタビューした報告によれば、当初731部隊では注射で女性マルタに梅毒を感染させていましたが、現実に即した実験結果を得るため、マルタを強制して性行為を行わせることで梅毒を感染させ、梅毒にかかった男女を小部屋に入れて再び性行為を強制したという証言があります。
その他の残虐行為
実験以外にも、731部隊では様々な残虐行為が行われていたと言われています:
- 部隊の将校たちは、実験が終わった後も生きている収容者を円板に縛り付け、その円板を回転させながら短剣を投げるゲームをして娯楽にしていました。このとき命中する部位を賭けるギャンブルも行われていました。
- 女性収容者に対する強姦も発生し、時には死亡するケースもありました。
- 部隊の規律を強化するため、兵士たちに収容者を棍棒で殴り殺させる訓練も行われていました。これは収容者を人間として認識し、解放しようとする兵士が出ることを防ぐための措置だったとされています。
当時の写真は存在するのか?
731部隊の証拠写真については、終戦時に日本軍が証拠隠滅を徹底的に行ったため、限られた数しか現存していません。
731部隊本部の建物やボイラー室などの施設の写真は現存しており、中国のハルビンにある731部隊の跡地には博物館が設置され、当時使用されていた道具や設備、写真などが展示されています。

熊本の歴史研究家が、731部隊の支部存在を示す証拠写真を発見したという報道もあります。これは日本国内における731部隊の活動範囲を示す重要な証拠となっています。
元隊員による証言と記録
元少年隊員の清水英男さんはハルビンから唯一持ち帰ることができた写真アルバムを所持しており、同じ年齢の隊員と撮影した写真が含まれています。また、清水さんは標本室に多くの人体の臓器標本が並べられていたことを証言しており、子どもや胎児の標本も含まれていたと証言しています。
「私たちはさまざまな病原菌についての基礎知識を学び始め、その後、ネズミの体液を採取して病原菌があれば培養した。培養された病原菌が何に使われるのかは、当時の私には全く分からなかった」と清水さんは証言しています。
731部隊の罪
731部隊の犯罪行為は戦後どのように扱われたのでしょうか?
ハバロフスク裁判
1949年12月末、ソ連はハバロフスクに軍事法廷を設置し、日本の細菌戦戦犯12人を裁きました。この裁判では731部隊の犯罪が明らかにされ、川島清は部隊が実験により、中国や朝鮮、ソ連などの兵士と民間人3千人以上を殺害したと告白しました。
柄沢十三夫は1946年9月26日から30日までの間に、731部隊の編成と責任者、研究内容、設備、人体実験の事実、中華民国での細菌兵器使用、寧波と常徳で行われたペストノミ攻撃の事実を認め、総指揮者が石井四郎であったと証言しました。
米国による免責
一方で、米国は731部隊の隊員たちに対して免責を与えるという取引を行っていたことが、近年の研究で明らかになっています。中国のハルビン市社会科学院731問題国際研究センターの責任者、楊彦君氏は、米国立公文書館で石井四郎に関する公文書を分析した結果、米国と日本の間で秘密の取引があったことを明らかにしました。
1947年5月6日、米軍極東司令部は米国防省に軍事機密電報を送り、石井四郎から得た報告書などの資料を戦争犯罪の証拠として使用しないことを提案しました。その後、1948年3月13日に統合参謀本部がマッカーサーに対し、この提案を認める回答を送っています。
楊氏は「これは技術的な説明の内容で、石井四郎と731部隊のすべての隊員の罪を免除することを条件に731部隊のすべての実験資料を取得する目的を果たすものだ」と指摘しています。
証言の信憑性をめぐる議論
731部隊の人体実験に関する証言の信憑性については議論もあります。証言の中にはソビエト連邦や中華人民共和国政府の捕虜となっていた時期に供述書として提供されたものもありますが、全ての証言がそうというわけではなく、捕虜となった経歴が確認されない人物の証言もあります1。
また、ネット上では清水英男さんの証言に対して「14歳で731部隊に入隊となっていますが、731部隊は大学卒のみの採用でした。嘘は明白」などとする誤った批判が広がったこともありました。しかし、BuzzFeed Newsのファクトチェックによれば、731部隊(関東軍防疫給水部)には、14歳でも入ることのできる軍属の組織「少年隊」が存在していたことが、公文書や証言などから明らかになっています。

まとめ:歴史の暗部と向き合うために
731部隊の活動は、医学や科学の名の下に行われた非人道的な戦争犯罪です。部隊の犯した罪の重大性を考えると、これらの事実を歴史として正確に記録し、後世に伝えていくことは極めて重要です。
生存者である清水英男さんは「事実は事実として厳粛に受け止めるべきだ。二度と戦争をしないことこそ、くみ取るべき最大の教訓だ」と語っています2。この言葉には、過去の過ちから学び、同じ過ちを繰り返さないという強い願いが込められています。
最近では、聖路加国際病院の創設者として知られる日野原重明さんが、京都帝国大医学部在学中に731部隊の石井四郎の講義を受け、中国人捕虜への人体実験の記録映画を授業で見せられたという証言が明らかになりました。このような証言が今後も発掘されることで、731部隊の全容がより明らかになっていくでしょう。
731部隊の歴史は、科学や医学の進歩と人間の尊厳のバランスについて、私たちに重要な問いを投げかけています。それは「科学的知見を得るためなら、どんな手段も許されるのか」という倫理的問いです。この問いに対する答えは明白であり、人間の尊厳を踏みにじるような行為は、どんな理由があっても正当化されることはありません。
歴史の暗部と向き合うことは時に辛いことですが、それを通じて私たちは平和の尊さと人間の尊厳について学び、より良い未来を築いていく知恵を得ることができるのです。