原爆の黒い雨とは?降った場所や当たるとどうなるのかを解説

原爆の黒い雨とは?降った場所や当たるとどうなるのかを解説
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広島と長崎に投下された原子爆弾は、爆発直後に「黒い雨」という特異な現象をもたらしました。この放射性物質を含んだ雨は、爆心地から離れた地域にまで放射能汚染を拡大し、多くの人々に深刻な健康被害を与えました。

本記事では、黒い雨の正体から発生メカニズム、健康影響、降雨地域、そして被害者の生々しい証言までを詳しく解説します。80年近く経った今も続く被害者救済問題にも焦点を当て、この「死の雨」の全容に迫ります。

目次

原爆の黒い雨とは?

「黒い雨」(くろいあめ)とは、原子爆弾投下後に降った、原爆炸裂時に巻き上げられた泥やほこり、すすや放射性物質などを含んだ重油のような粘り気のある大粒の雨のことです。これは放射性降下物(フォールアウト)の一種として位置づけられています。

この雨は通常の雨とは全く異なる特徴を持っていました。墨汁のように黒く、粘り気があり、大粒で、降水量は場所によっては50~100mmに達したとされています。白い衣服に当たると、みるみるうちに黒い斑点ができ、やがて黒く染まってしまうほどの濃さだったことが多くの証言で語られています。

黒い雨現象は広島と長崎だけの特殊事例ではありません。フランスの核実験場であったムルロア環礁や、旧ソ連の核実験場であったセミパラチンスク周辺でも記録されており、核爆発に伴う普遍的な現象であることが分かっています。

広島では、1945年8月6日の原爆投下後、主に北西部を中心に大雨となって激しく降り注ぎました。一方、長崎でも8月9日の原爆投下直後、爆心から12km圏内で黒い雨が観測されています。

この黒い雨の最も恐ろしい特徴は、強い放射能を帯びていたことです。当時の人々はその危険性を知らず、喉の渇きを癒すために飲んだ人も多くいました。この無知が後の健康被害を一層深刻なものにしたのです。

なぜ黒い雨が降るのか?

黒い雨が降る気象学的メカニズムについて、広島大原爆放射線医科学研究所の星正治教授は「原爆によって発生した三つの雲が雨を降らせた」と説明しています。この説明は黒い雨の発生過程を理解する上で極めて重要です。

第一の雲は、爆発の衝撃で舞い上がった土やほこりなどが、火球と地表の間の空気が暖まってできた上昇気流に乗って約4000メートルまで上昇してできた雲です。これがきのこ雲の柱部分に当たります。

第二の雲は、きのこ雲の「かさ」の部分です。火球が上昇し、上空で膨張するうちに温度と気圧が下がり、空気中の水蒸気が水滴となったものです。

第三の雲は、熱線で発生した大火災が原因の雲です。熱気に伴う上昇気流によって、水蒸気とすすなどが約800メートル上空で雲になりました。この火災による雨は、原爆特有のものではなく、大規模な空襲があった場合にも見られた現象でした。関西大学の小山仁示名誉教授の著書「改訂 大阪大空襲」には「大空襲があると、必ずといってよいほど、黒い雨が降った」という記述があります。

通常の雨の形成過程を広島市江波山気象館の脇阪伯史学芸員は次のように説明しています。上昇気流にのった空気中の水蒸気が温度の低い上空で冷え、空気中のほこりなどとくっついて氷の粒や水滴になります。上昇気流が続くと水蒸気がどんどん加わり、水滴が互いにくっつき合って大きくなります。そして重くなった水滴が落下してくるのが雨です。

原爆の黒い雨の場合、この通常のプロセスに放射性物質や大量のすす、泥などが加わることで、黒色で粘り気のある特徴的な雨となりました。星教授は「三つの雨はどれも放射能を含んでいた。『黒い雨』というが実際には黒色のほかに、茶色や無色の雨も降ったと思われる」と述べています。この説明から理解できるのは、原爆の黒い雨が、通常の気象現象と核爆発の特殊性が組み合わさった複合的な現象だったということです。

黒い雨に当たるとどうなる?

黒い雨は強い放射能を持っていたため、この雨に直接打たれた人々には様々な健康被害が生じました。その被害は急性症状から長期的影響、さらには心理的影響まで多岐にわたります。

その1 急性症状

黒い雨に直接打たれた人々は、二次的な被曝が原因で急性放射線障害に苦しみました。主な症状としては、頭髪の脱毛、歯茎からの大量出血、血便、そして急性白血病による大量の吐血などが報告されています。

ある証言では「黒い雨にぬれ、数日間普通の作業して居て、急に皮膚に赤い斑点が出来、1週間ぐらいで死んだ」という事例が語られています。また別の証言では「直後に降った黒い雨水を飲んだため胸の中より焼け、毎日胸がやける、熱…」という症状が報告されています。

大火傷や大怪我を負った被爆者たちは、この雨が有害なものだと知らず、喉の渇きから口にする人も多くいました1。そのような人々は特に深刻な内部被曝をしたと考えられます。一般的な放射線被曝と異なり、黒い雨による被曝は放射性物質を直接体内に取り込むことで起きる内部被曝も含むため、その影響はより深刻でした。

その2 長期的影響

黒い雨による放射線被曝は、急性症状だけでなく長期的な健康影響ももたらしました。現在、国は被爆者健康手帳の交付要件として、黒い雨に遭ったことが否定できないこと、そして国が指定する11の病気にかかっているか白内障の手術歴があることの二つを満たすことを求めています3

岡山市に住む84歳の女性は、「自己免疫性肝炎と多臓器不全と、まだたくさんある。白血球が人の倍以上、血液検査したらあるということで、大きい病院にかかったら即入院。動いたら呼吸困難になったり、めまいがしたりいろいろある」と黒い雨に関連した症状を訴えています。

また、当時の環境への影響も深刻でした。水は汚染され、川の魚はことごとく死んで浮き上がったという記録があります1。この地域の井戸水を飲用した人の間では、下痢が非常に多かったとされています1。これは内部被曝による消化器系への影響と考えられます。

特に注目すべきは、被爆から数十年後に発症するがんや白血病のリスク増加です。放射線被曝は細胞のDNAに損傷を与え、将来的な健康問題の原因となります。この点が黒い雨被害の認定を複雑にしている要因の一つでもあります。

その3 心理的影響

黒い雨の体験は身体的な健康影響だけでなく、深刻な心理的影響ももたらしました。広島市は2008年、45年当時から現在まで市内に暮らしている3万人を対象に、「黒い雨」に打たれた体験の心理的影響などを調査すると発表しています。

黒い雨を体験した人々の多くは、その異様な光景に強い恐怖を感じたと証言しています。「黒い煙が出てきて、もう帰ろうと言った。帰る支度をしていたら雨が降ってきた、黒い雨が」という岡山市の女性の証言からも、その不気味さと恐怖が伝わってきます。

また、被爆者として認められないことによる精神的苦痛も大きな問題です。「みんなが自分の寿命か、手帳がもらえるか、どっちが先になるか分からんよと友達が電話で言う」という言葉は、認定を待ち続ける高齢者の苦悩を表しています。

さらに、黒い雨の正体や危険性を知らなかったことによる後悔や自責の念を抱える人もいます。「放射能を多量に含んだ雨とは露知らずむさぼり飲んだ」「放射能の雨とは後ほど知りました」「黒い雨が原爆と関係あるとわかったのは10年以上してからだったと思う」などの証言が、その心理状態を物語っています。

黒い雨には「二面性」があったという研究者の指摘もあります。渇きを癒すことができる生命の水として歓迎される一方で、知らずに受け入れることで命を奪う死の雨でもあったのです。この複雑な心理的構図は、被爆者の精神的苦痛をさらに深めたと考えられます。

黒い雨はどこで降ったのか?

黒い雨の降雨地域についての認識は、時代とともに大きく変化してきました。これは科学的調査の進展だけでなく、被害者救済の政策とも密接に関連しています。

当初、広島において黒い雨の降った範囲は、当時の気象技師の調査などに基づき、爆心地の北西部に1時間以上降った「大雨地域」(南北19km、東西11km)と1時間未満の「小雨地域」(南北29km、東西15km)だとされていました。国はこの区分に基づいて、「大雨地域」在住の被爆者にのみ健康診断やがんなどの特定疾患発病時の被爆者健康手帳の交付を行ってきました。

しかし、実際にはその地域よりもはるかに遠い地域でも降雨が報告されており、この基準に対する批判が多く出されてきました。近年の調査によって、降雨範囲が従来考えられていたよりもはるかに広いことが明らかになっています。

広島市による被爆者の聞き取り調査はその一例です。さらに、広島大学原爆放射線医科学研究所の星正治教授らが2008年から2009年にかけて行った調査では、爆心地から8km離れた「小雨地域」の土からもセシウム137が検出されました。これは放射性降下物の痕跡が、公式に認められた範囲を超えて広がっていたことを示す科学的証拠です。

特に注目すべきは、気象学者の増田善信氏による再調査です。増田氏は広島原爆後の「黒い雨」について被爆直後の資料やアンケート調査、聴き取り調査、被爆体験記録など多角的な資料を分析した結果、降雨域は従来の4倍もの広さになることを報告しています。この「増田雨域」と呼ばれる調査結果は、後の裁判で被害者救済の重要な根拠となりました。

長崎でも黒い雨は降りましたが、原爆炸裂当日の気象条件や降雨地域の人口密度の関係で、広島に比べて記録は少なくなっています。それでも爆心から12km圏内で黒い雨が観測されたことが分かっています。工藤洋三・金子力の著書『原爆投下部隊』には、橘湾上空を飛行するB-29爆撃機から撮影したキノコ雲の写真に、キノコ雲の東側(東長崎地区・諫早方面)に黒く延びる影(原爆による多量の降下物)が写っています。

これらの事実を受け、広島市は2010年から2年かけて原爆投下当日の気象状況をもとに黒い雨の降雨範囲のシミュレーションを行い、降雨域の拡大を厚生労働省に求めました。しかし、厚生労働省の有識者検討会は2012年1月に「降雨域を確定するのは困難」との結論を出してしまいます。

この判断に対する批判が高まり、被害者たちは司法の場で認定を求める闘いを続けました。2021年7月の広島高裁判決は、国が主張する降雨域よりも広い範囲に降ったと判断し、救済の拡大を命じました。これを受けて国は、黒い雨に遭ったことが否定できない、がんなど国が指定する11の病気にかかっているか白内障の手術歴がある、という2つの要件をいずれも満たせば被爆者と認める新たな基準を2022年4月から運用開始しました。

黒い雨で被害にあった人の証言まとめ

黒い雨の実態を最も生々しく伝えるのは、それを体験した人々の証言です。統計や数値では表現できない、人間の感覚や記憶に刻まれた体験は貴重な歴史的証拠となっています。

岡山市に住む84歳の女性は、4歳のとき広島で黒い雨に遭った記憶を次のように語っています:「姉が縫ってくれた一番大好きな服を着ていたので、その服が真っ黒になりだしたので、涙ぽろぽろ出していたら、母親が『帰ったらすぐ洗ってあげるから大丈夫よ』と」。服の色はピンクだったそうです。幼い子どもにとって大切な服が黒く染まっていく光景は、80年近く経った今でも鮮明に記憶に残っているのです。

また、女性は原爆投下の瞬間とその後の黒い雨について、「東の山の方でピカッと光って、大きな音がした、それで何事だろうかと思っていたら、風も吹いてきて、いろんな焼け焦げたようなゴミが降ってきた。どうしたんだろうかと言っていたら、黒い煙が出てきて、もう帰ろうと言った。帰る支度をしていたら雨が降ってきた、黒い雨が。それで母親がすぐ自分のかぶっている麦わら帽子を私にかぶせて、母親は自分のタオルを頭にかぶって、それで帰った」と詳細に記憶しています。母親が自分の身を顧みず子どもを守ろうとした姿も、深く心に刻まれているのでしょう。

広島市佐伯区湯来町の隅川清子さん(73)は同町の実家で黒色の雨を見た経験をこう語っています:「小指の先くらいの雨粒が落ちてきて、白いシャツが黒くなった。勢いが激しく、30センチほどの高さまで跳ね返っていた。広島市内の状況を知らなかったので、『何が起きたのだろう』という思いで頭がいっぱいだった」。この証言からは、黒い雨の物理的特徴と、それを目の当たりにした人の困惑が伝わってきます。

特に多いのは、白い衣服が黒くなる様子を目撃した証言です。「被爆し、その後黒い雨にうたれ、白衣がまっ黒の水玉になった事」「(家の)庭に造っていた防空ごうに入れ、あれこれしていた頃黒い雨が降った。主人の白いシャツがみるみる黒くなったのでおぼえている」などの証言が残されています7。白い布地に黒い斑点ができていく視覚的なコントラストが、強烈な印象として記憶に残ったのでしょう。

最も悲惨なのは、黒い雨を口にした人々の証言です。「被爆後猛烈な勢いで降った黒い雨のあとで、この道に沿って側溝があって、その側溝から音をたててあふれていた水を呑むために屈んで水を呑むとモウこの被災者達はそのまま死んで仕舞うのであった」という証言は、放射能汚染水を飲んだ被爆者たちの痛ましい最期を伝えています。

「被爆後すぐ太田川の堤につくった防空ごうに避難していた(女学生)それから雨がふって防空ごうの中に流れこんできたその水をのんで死ぼうした」「そこへ沛然とした豪雨、それが将来内蔵を欠陥させる原因の、黒い雨とは知るすべもなくほてった躯を雨に濡し、水たまりに口をつけた」といった証言からは、激しい渇きと放射能汚染水の恐ろしい関係が浮かび上がります。

まとめ:死の雨だった

原爆投下後に降った黒い雨は、まさに「死の雨」でした。放射性物質を含んだこの雨は、爆心地から離れた地域にまで放射能汚染を拡大し、核攻撃の被害を空間的にも時間的にも拡大させました。

黒い雨の特徴は、その名の通り黒色であること、重油のような粘り気があること、そして放射性物質を含んでいることです。この雨は原爆の爆発によって発生した三種類の雲(爆発の衝撃で舞い上がった物質による雲、火球の上昇・膨張による雲、大火災による雲)から生じました。これら三つの雲はいずれも放射能を含み、黒い雨として地上に降り注いだのです。

黒い雨に打たれた人々は、二次的な被曝による急性放射線障害に苦しみました。頭髪の脱毛、歯茎からの出血、血便、急性白血病などの症状が報告されています。また、雨水を飲んだり、汚染された井戸水を使用したりした人々も多く、内部被曝による健康被害も深刻でした。

長期的には、がんや白血病のリスク増加など様々な健康問題が生じました。現在、国は黒い雨に遭ったことが否定できない人で、がんなど国が指定する11の病気にかかっているか白内障の手術歴がある人を被爆者と認定していますが、認定範囲をめぐる争いは今なお続いています。

黒い雨が降った範囲については、当初の「大雨地域」と「小雨地域」の認識から、近年の調査により大幅に拡大されました。気象学者の増田善信氏の再調査では、従来の4倍もの広さになることが報告されています。2021年の広島高裁判決はこうした新たな証拠を受け入れ、救済拡大を命じました。

被爆から80年近くが経過した今も、黒い雨の問題は完全に解決していません。岡山市に住む84歳の女性のように、今もなお認定を求めて闘い続けている被害者がいます。被爆者の高齢化が進む中、時間との闘いが続いているのです。

2023年には「原爆『黒い雨』訴訟」という論考集が出版され、専門家7人が人文社会・自然科学それぞれの視点から黒い雨訴訟を考察しています。この本には、独自の調査を続け、国の定めた降雨地域に長年、異議を唱えてきた増田善信・元気象庁気象研究所研究室長(当時100歳)も「『黒い雨』再調査と34年後の真実」と題して執筆しています。これは黒い雨問題の社会的意義と継続性を示しています。

黒い雨は、核兵器の恐ろしさを示す重要な証拠です。爆発の瞬間だけでなく、その後も長期にわたって人々を苦しめる放射能の脅威を如実に物語っています。そして、その被害の全容はいまだに完全には解明されていません。黒い雨の記憶を風化させることなく、次世代に伝えていくことが、被爆者への敬意であり、平和への誓いとなるのです。現在も続く被害者救済の問題に目を向け、適切な対応を早急に進めることが求められています。

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