鷹の羽の家紋は何を意味している?使用していた有名人武将や苗字を紹介

鷹の羽の家紋は何を意味している?使用していた有名人武将や苗字を紹介

「鷹」は古くから縁起の良い鳥類として日本文化で特別視されてきました。実は、家紋にも鷹の羽をモチーフにした意匠が存在します。果たして、そこには、どのような意味が込められているのでしょうか?

この記事では、「鷹の羽の家紋は何を意味しているのか?」という疑問について考察しています。また、鷹の羽の家紋を使っていた有名人の武将や苗字も紹介しているので、興味のある人たちは参考にしてみてください。

目次

鷹の羽の家紋は何を意味しているのか?

さて、鷹の羽の家紋には、どのような意味を込められているのでしょうか?

結論から言えば、鷹の羽には「尚武的意義」が込められており、戦勝を祈念する武勇的な意味が込められています。「鷹」と言えば鳥類の中でも狩りの達人ですから、武士として家紋に掲げるのにはぴったりの意匠なわけです。事実、鎧や兜に鷹の羽の家紋を描く武将たちもいました。

また、鷹それ自体が当時の日本では既に特別な存在でした。具体的には、仁徳天皇が鷹を使って雉を捕ったことに始まり、平安時代の各天皇は鷹狩りを好みました。鷹司という役職が生まれるほど、日常的な営みのひとつだったのです。

その由来は、阿蘇神社の神紋として使われていたことにあります。すなわち、氏子が広めたデザインだったわけです。十大家紋のひとつにも数えられる格式のある地位を確立していることからも、ポピュラーな家紋であると言えるでしょう。

鷹の羽以外にも、桐・藤・木瓜・蔦・茗荷・沢瀉・柏・橘・片喰が「十大家紋」に位置付けられています。

鷹の羽紋が初めて史料に登場したのは「蒙古襲来絵巻」です。九州の豪族・菊池武房(きくちたけふさ)が軍旗に用いていた様子が記録されています。

鷹の羽の家紋の種類一覧

それでは、鷹の羽の家紋には、どのような種類があるのでしょうか?

ここでは、代表的な4つの家紋を紹介します。

丸に一つ鷹の羽紋浅野鷹の羽違い鷹の羽阿部鷹の羽
まるにひとつたかのはあさのたかのはちがいたかのはあべたかのは
鷹の羽の家紋の種類一覧

はじめに、「丸に一つ鷹の羽紋」は鷹の羽紋の代表的な紋です。

続いて、「浅野鷹の羽」は播磨赤穂藩主浅野内匠頭長矩が使用した家紋です。当初は「違い鷹の羽」だったが、大名となり他家との差別化をはかるため、変更されたと言われています。

最後に、「阿部鷹の羽」は孝元天皇の子孫である大和国十市群阿部を発祥とする阿部氏が使っていた家紋です。陰陽師安倍晴明はその子孫であると言われています。

鷹の羽の家紋を使っていた有名人武将一覧

それでは、鷹の羽の家紋を使っていた有名人武将には、どのような人物がいるのでしょうか?

これに関しては、次に挙げる武将が鷹の羽の家紋を使っていたと言われています。

鷹の羽の家紋を使っていた有名人武将一覧

  • 豪族菊池武房
  • 久世広宣
  • 浅野長政
  • 阿蘇惟豊
  • 阿蘇惟将
  • 浅野幸長
  • 阿部正勝
  • 片桐且元

鷹の羽紋が初めて史料に顔を出したのは「蒙古襲来絵巻」で九州の豪族菊池武房(きくちたけふさ)がこの紋を軍旗として使用した様が見つけられます。

その後、鷹の羽紋を使用していた有名な武将は播磨赤穂藩主であった浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)長矩(ながのり)です。豊臣秀吉の腹心として活躍した戦国武将です。

鷹の羽と関係する苗字

前述しましたが、最初に鷹の羽を使用したとされる家は菊池氏です。菊池氏の子孫は肥後(現在の熊本県)を本拠として、西郷、小島、兵藤、山鹿、村田氏など数十氏に及び、その大部分がこの紋を家紋としました。総じて、主家が用いる家紋を受け継ぐという文化は共通であると言えます。

また、阿蘇神社の神官阿蘇氏は、菊池氏以外にも神紋を授けたと言われており、足利時代には、鷹の羽を家紋とした氏族は全国に及んでいたと言われています。なんと、徳川期になると大名旗本合わせて百二十三家にも上ります。

なお、「阿部鷹の羽」で有名な阿部、安倍も同じルーツとされています。孝元天皇の子孫に大和国十市群阿部(現在の奈良県桜井市)を発祥とする阿部氏があり、苗字として頻繁に見受けられる「あべ」も子孫であると考えられています。

阿部鷹の羽

農民も鷹の羽の家紋を使っていたのか?

なお、農民の地位にいた人たちも鷹の羽の家紋を使っていたのでしょうか?

これに関しては、農民が鷹の羽の家紋を使っていたと推察されます。とりわけ、鷹の羽の家紋を掲げていた大名が暮らす地域では、そこに住んでいる農民たちも同じ家紋を掲げていた可能性があります。

実のところ、日本の家紋は身分にかかわらず、農民も武士も使用していたことがわかっています。一部、徳川家の葵紋は使用が禁じられるケースがありましたが、自分たちの好きなマークを自由に掲げていたんです。これはヨーロッパの紋章とは異なる面白い日本史の特徴であると言えます。

とはいえ、豊臣秀吉が天下の覇者となった以来、政権を安定させるために武士と農民の区別が明確になったのは事実です。すなわち、刀狩りを通じて武器を取り上げることで逆らえないようにしたのです。そして、江戸幕府を開いた徳川家康は農民から苗字を取り上げました。

それでも家紋までは禁止されなかったのは、家紋が権威を象徴する序列的なものではなかったことを物語っています。

鷹は縁起のよい鳥

日本において、鷹は縁起の良い鳥とされています。みなさんのなかにも、初夢は「一富士二鷹三茄子」がよいという話を聞いたことのある人たちもいるはずです。鷹の羽の家紋にまた、日本人ならではの感性が反映されていると考えられます。

みなさんの家ももしかしたら、鷹の家紋が掲げられているかもしれませんよ。これを機会に是非、自分たちの先祖が使っていた家紋を調べてみることをおすすめします。

参考文献一覧

  • 『決定版 知れば知るほど面白い!家紋と名字』綱本光悦 西東社
  • 『面白いほどよくわかる 家紋のすべて 安達史人』日本文芸社
  • 『家紋から日本の歴史をさぐる』インデックス編集部 ごま書房
  • 『日本の家紋事典 由来と解説』大隈三好 金園社
  • 『知識ゼロからの日本の家紋 入門』楠戸義昭 幻冬社
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この記事を書いた人

DEEP JAPAN QUEST編集部は日本文化に関する総合情報メディアを運営するスペシャリスト集団です。DEEP JAPAN QUEST編集部は、リサーチャー・ライター・構成担当・編集担当・グロースハッカーから成り立っています。当サイトでは、日本文化全般に関わる記事を担当しています。

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