日本の三種の神器の一つである八咫鏡。その裏側にヘブライ語が刻まれているという噂は長年にわたり語り継がれてきました。この神秘的な伝説は単なる都市伝説なのか、それとも何らかの真実を含んでいるのか。本記事では、八咫鏡に関する歴史的背景を踏まえながら、噂の信憑性を徹底検証します。神秘主義的な解釈ではなく、歴史学的・考古学的視点から、この興味深い問題に迫っていきます。
八咫鏡とは?
八咫鏡(やたのかがみ)は、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)または草薙剣(くさなぎのつるぎ)と共に、日本の皇室に伝わる三種の神器の一つです5。「咫」は古代の長さの単位で、八咫は「大きな」という形容詞的な意味を持ちます。
日本神話によると、八咫鏡の誕生は天岩戸の物語に遡ります。天照大神が素戔嗚尊の狼藉に責任を感じて岩戸に閉じこもり、世界から太陽の光が消えた時、八百万の神々が集まり対策を協議しました5。この時、思兼神(おもいかね)の計画に基づき、鏡職人の祖神である石凝姥命(いしこりどめ)によって八咫鏡が作られました。天金山の鉄と天の安河の川上の岩を材料としたとされています。
この鏡は、天照大神を岩戸から誘い出すために重要な役割を果たしました。アメノウズメノミコトの踊りで神々が盛り上がる様子に興味を持った天照大神が岩戸を少し開けた時、榊の枝に取り付けられた八咫鏡に自分の姿が映ったことで、さらに岩戸の外に出てきたとされています5。
現在、八咫鏡の実物は伊勢神宮に安置されており、皇居には「形代」(かたしろ)と呼ばれるレプリカが置かれていると言われています。しかし、三種の神器の中でも特に八咫鏡は秘密に包まれており、その実物を見た人はほとんどいないと考えられています。
八咫鏡にヘブライ語が書かれている噂の内容
八咫鏡の裏側にヘブライ語が記されているという噂は、明治時代から存在しています13。この噂の中核にあるのは、鏡の裏面に刻まれたとされる文字の正体です。
主な証言としては、明治時代の文部大臣であった森有礼によるものがあります。森は、八咫鏡の裏に旧約聖書の出エジプト記3章14節の「אהיה אשר אהיה」(エイェ・アシェル・エイェ)というヘブライ語が刻まれているのを見たと証言したとされています。この言葉は「私は有って有る者」という意味で、モーセに対して神が自らを啓示した重要な一節です。

また、元海軍将校の矢野祐太郎も八咫鏡を実見する機会があり、その形状や刻まれた文字のスケッチを残したと言われています。そのスケッチによれば、鏡の中央部分に上段3文字、下段4文字の合計7文字が2行に分けて刻まれていたとのことです1。
これらの文字に対してはいくつかの解釈があります:
- 下段の文字は「יהוה」(ヤーウェー)、つまり「神」を意味し、上段は「קול」(コル)、つまり「声」を意味するヘブライ語であるという解釈。この場合、「コル・ヤーウェー」(神の声)という意味になります。
- 下段は同じく「יהוה」(ヤーウェー)だが、上段は「אור」(オール)、つまり「光」を意味するヘブライ語であるという解釈。この場合、「オール・ヤーウェー」(光の神)という意味になります。
- これらはヘブライ語ではなく、古代日本の「ヒフ文字」で「ワレオナルカシ」(吾をみるごとくせよ)という意味だという解釈。
この噂が長く続いている理由の一つは、八咫鏡が天照大神(太陽神)と関連していることから、「光の神」という解釈が神話的な文脈と整合性を持つと考えられていることです。
八咫鏡にヘブライ語が書かれているのは嘘?
八咫鏡にヘブライ語が刻まれているという噂の信憑性を判断するためには、いくつかの重要なポイントを検討する必要があります。
まず、八咫鏡の実物を実際に見ることは非常に困難だということです。三笠宮崇仁親王は「八咫鏡は非常に厚い秘密の壁に取り囲まれ」ており、「現在生きているだれもが、八咫鏡を見ることは不可能」と述べたとされています。
実際、八咫鏡は極めて厳重に保管されています。江戸時代後期の国学者・判信友らの記述によると、八咫鏡は布にくるまれ、円形の容器の中に密閉され、さらに「御樋代」(みひしろ)という檜で作られた箱に入れられ、その上で「御船代」(みふなしろ)という船の形をした箱に囲まれているとされています。このような多重構造の保管方法を考えると、許可なく鏡を見ることは物理的に極めて困難です。
次に、森有礼や矢野祐太郎の証言の信頼性についても疑問が提起されています。特に矢野祐太郎については、戦前の神道系宗教団体「神政龍神会」の関係者であり、彼の証言は創作である可能性が指摘されています。また、「きよめ教会」の牧師である生田目俊造が発表した「神秘日本」という文書や、その後の英字新聞での三笠宮の発言など、この噂の広がりには特定の宗教的背景が関与している可能性があります。
さらに、仮に八咫鏡の裏に何らかの文字が刻まれているとしても、それが本当にヘブライ語であるという確証はありません。ヘブライ語の文字は時代によって形状が変化しており、古代のヘブライ文字形状を考慮する必要があるという指摘もあります。また、矢野氏のスケッチに描かれた文字と、森有礼が見たとされるヘブライ語の文字数が一致しないという矛盾も指摘されています。
考古学的・歴史学的観点からも、古代日本にヘブライ語が伝わっていたという確固たる証拠はなく、また古代の鏡の製造技術を考慮すると、裏面に細かい文字を刻むという技術的な問題も存在します。これらの点を総合すると、八咫鏡の裏にヘブライ語が刻まれているという説は、学術的な観点からは支持されないと言わざるを得ません。
なぜヘブライ語が書いてあるという噂が出てきたのか?
では、なぜこのような噂が広まったのでしょうか。
その背景にはいくつかの歴史的・文化的要因が考えられます。
その1 日ユ同祖論の影響
最も大きな要因の一つが「日ユ同祖論」の存在です。日ユ同祖論とは、日本人とユダヤ人が同じ祖先を持つという説で、明治時代以降、様々な形で提唱されてきました。
明治時代はちょうど、日本が西洋の文化や宗教に急速に接触した時期です。特に、スコットランドの商人ニコラス・マクラウドが日本を訪れ、日ユ同祖論を広めたのもこの時期でした。当時、西洋からの新知識の流入によって、伝統的な日本の神話や宗教観も再解釈され始めていました。
日ユ同祖論を支持する人々にとって、八咫鏡にヘブライ語が刻まれているという噂は、自説の有力な証拠として歓迎されたことでしょう。実際、「ヤ」という音がヘブライ語で神を表す「ה」の音に似ているという点から、日本中の「ヤ」で始まる地名や言葉(ヤマト、ヤハタ、ヤクモなど)がヘブライ語起源だとする説も存在します1。
その2 宗教団体の関与
戦前の日本では様々な新宗教運動が発生し、その中には神道と西洋の宗教要素を融合させたものもありました。「神政龍神会」もそうした団体の一つであり、矢野祐太郎はこの団体の関係者でした。
また、「きよめ教会」の牧師である生田目俊造が昭和23年(1948年)に「神秘日本」という文書を発表し、八咫鏡とヘブライ語の関係について言及したことも、この噂の広がりに寄与しました。
その3 メディアの報道と情報拡散
1953年(昭和28年)1月には、「在日ユダヤ民会」でのミーティングで三笠宮が八咫鏡のヘブライ文字説について調査すると発言したことが「東京イブニングニュース」で「神鏡のヘブル出所説を三笠宮氏が調査!」として報道されました。これによって、この噂は一般社会にも広く知られるようになりました。
現代においては、インターネットの普及によって、このような神秘的な噂はさらに広く、速く拡散されるようになりました。特に「古代の謎」や「隠された真実」といったテーマは人々の好奇心を刺激しやすく、歴史的事実よりも魅力的な噂の方が記憶に残りやすいという心理的要因も関係しているでしょう。
まとめ:流石にあり得ない
八咫鏡の裏にヘブライ語が刻まれているという説は、歴史的・学術的証拠に基づいて検証した結果、信頼性の低いものであると結論付けざるを得ません。
しかし同時に、この噂が示唆している文化間の交流や共通性への関心は、人類の普遍的なつながりを探求する意義ある試みとも言えるでしょう。八咫鏡という神聖な宝物に対する敬意を持ちつつも、歴史的事実と神話的解釈を明確に区別し、学術的な視点から検証することが重要です。
八咫鏡の真の価値は、その物理的特性や裏面の刻印よりも、日本の神話や歴史において果たしてきた象徴的役割にあります。それは単なる物質的な宝物ではなく、日本の文化的アイデンティティの重要な一部を形成する象徴なのです。
結論として、八咫鏡にヘブライ語が刻まれているという説は、歴史的・学術的な観点からはほぼあり得ないと言えますが、この噂自体が示す文化的創造性と想像力は、人間の知的好奇心の表れとして興味深い文化現象であることは間違いありません。
歴史的事実と神話的解釈を混同せず、批判的思考と学術的検証を通じて理解を深めることが、神聖な文化遺産に対する真の敬意につながるのではないでしょうか。最終的には、伝説や噂話ではなく、確かな証拠に基づいた歴史観を持つことが、私たちの文化理解をより豊かなものにしてくれるはずです。