石田三成の家紋一覧|旗印として使われた大一大万大吉の意味も解説

石田三成の家紋一覧|旗印として使われた大一大万大吉の意味も解説

石田三成は複数の家紋を使い分けていたと言われています。「関ヶ原の戦い」に敗れたことから石田三成の記録はあまり残っていないものの、『合戦図屏風』や『肖像画』などから家紋の存在は明らかになっています。実際、どのような家紋を使っていたのでしょうか?

この記事では、石田三成の家紋一覧を紹介しています。また、旗印としても使用された「大一大万大吉」の意味についても考察しているので、歴史が好きな人たちは参考にしてみてください。

目次

石田三成の家紋一覧

実のところ、石田三成は複数の家紋を使用していたと言われています。

ここでは、石田三成が使っていた4つの家紋を紹介していきます。

その1 大一大万大吉

その1 大一大万大吉

第1に、石田三成は「大一大万大吉」という家紋を使っていました

「大一大万大吉」は「だいいち・だいまん・だいきち」と読みます。簡単に言えば、「一人がみんなのために、みんなが一人のために尽くせば、天下の人々は幸福になれる」という価値観を示しています。

しかしながら、この家紋が用いられた形跡は江戸時代前期の史料には見受けられません。その理由について、滋賀県知事公室広報課が次のように述べています。

この印は、江戸時代前期の史料には見ることができません。一説によると関ヶ原の戦いで勝利し天下を治めた徳川家康が、敗者石田三成を悪者として貶めるために情報を操作したのではないか。

滋賀県知事公室広報課『石田三成、その人物像とは』より引用(最終確認日:2024年4月15日)

歴史は権力者によって改竄されることが多々あります。時には、史料が捏造されることさえあるのです。

なお、大吉大一大万は石田三成以外にも備後の山内氏などが用いていたと言われています。

「大一大万大吉」は家紋ではなく、旗印であるという見解もあります。

その2 九曜

その2 九曜

第2に、石田三成は「九曜」という家紋も使っていたと考えられています

九曜紋は中央に大きな星を置き、回りに小さな八つの星を配しています。実のところ、これは古代インドで占いに使用された「九星」に由来しています。九星とは、日・月・火・水・木・金・土の七曜星に「らごう」と「けいと」の二星を加えたものです。

なお、石田三成の肖像画に描かれている着物には九曜紋があしらわれています。

石田三成の肖像画
長浜市ホームページ『在りし日の姿を偲ぶ石田三成の肖像画』より引用(最終確認日:2024年4月15日)

呪術紋としても使われていたようで、平安期には貴族の牛舎にも使われていたと言われています。今で言う交通関連のお守りのようなものだったのかもしれません。

その3 丸に三つ星

その3 丸に三つ星

第3に、石田三成は「丸に三つ星」の家紋も利用していました

丸に三つ星は、オリオン座を形成する三つ星を大将軍、左将軍、右将軍に見立てて、武神として信仰する中国の思想が元になっていると言われています。総じて、中国では「将軍星」と呼ばれています。

この家紋は『関ヶ原合戦図屏風』の軍旗に描かれています。これに関しては、下記のサイトをご確認ください。

その4 下り藤に石文字

その4 下り藤に石文字

第4に、石田三成は「下がり藤に石文字」があしらわれた家紋も持っていました

藤は上品な美しさに加えて、長く伸びて巻きつく特質から一族の繁栄を願うものとして人気の家紋になっています。この紋様は三枚の葉を十字の枝で結んで、左右から花房を円形に垂らしたデザインが基本となっています。

なお、日本でもメジャーな「佐藤・伊藤・近藤」など藤がつく苗字の家紋にも使われているんです。例えば、歌手の美空ひばり(加藤和枝)さんの家紋も藤紋です。

しかし、「下がり藤は縁起が良くない」と考える人たちもいるので、天地を逆にした上り藤(あがりふじ)や藤花を巴にした藤巴(ふじどもえ)を家紋として用いる一族もいました。とはいえ、「下り藤」が藤紋のなかでは、姿形が最高であると言われているので、捉え方は一様ではありません。

旗印として使われた大一大万大吉の意味と由来

石田三成は家紋だけではなく、旗印にも「大一大万大吉」を用いていました。

先述のとおり、「大一大万大吉」は「一人はみんなのために、みんなは一人のために、それによって天下の人々は幸福になる」という意味です。戦に勝つには団結が必要不可欠です。したがって、「大一大万大吉」は戦場で掲げる旗印としてもぴったりなコンセプトだったと言えるでしょう。

加えて、石田三成が「大一大万大吉」を家紋として用いたのには、「道教=神道」が深く関わっていると考察する学者もいます。

すなわち、「大」は「太=天=神」であり、「一」の個人と「万」の全体が「神道」で説かれるところの神と心を合わせることで「吉」という幸福になると考えられていた可能性があるわけです。

もっと言えば、「一人ひとりが神と心を合わせることで天下が幸福になる」という宗教観が反映されているのかもしれないわけです。真実は石田三成しかわかりませんが、彼の信仰が家紋の選択に影響しているのは十分にあり得ることでしょう。

詳細について気になる方は前原正美氏の『石田三成の旗印「大一大万大吉」に見る《「愛」の政治理念》と政治経済学―イギリスにおける「公」と「私」の政治経済学との関連で―』という論文を読んでみてください。

家紋に思想が現れる

家紋には必ず意味があります。それを一族の象徴として掲げる以上、そこには用い始めた人たちの思想が少なからず反映されているわけです。そのため、武将が使用していた家紋によって、本人の思考や感性に迫れるのは面白いですよね。

特に、家紋の基本形に加えて独自のデザインが施されている場合、自らの思想信条を強く反映した可能性が高いと考えられます。石田三成が使っていた複数の家紋には、ある種の超越的な信仰心と忠義心が表現されていたのかもしれません。

参考文献一覧

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DEEP JAPAN QUEST編集部は日本文化に関する総合情報メディアを運営するスペシャリスト集団です。DEEP JAPAN QUEST編集部は、リサーチャー・ライター・構成担当・編集担当・グロースハッカーから成り立っています。当サイトでは、日本文化全般に関わる記事を担当しています。

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