「島津家」と言えば、800年以上も続いている由緒正しい一族です。現代でも、末裔は島津興業をはじめとするファミリー産業で日本経済を担う大きな役割を果たしています。その島津家の家紋と言えば、十字のデザインで有名です。果たして、そこには、どのような意味があるのでしょうか?
この記事では、島津家が使う家紋の意味について考察しています。また、ルイヴィトンやキリシタンとの関係についても言及しているので、日本の歴史について興味のある人たちは参考にしてみてください。
島津家の家紋一覧
さて、島津家が使っている家紋には、どのようなものがあるのでしょうか?
結論から言えば、島津家の代表的な家紋は「丸に十文字(まるにじゅうもんじ)」です。現代でも、島津興業のロゴマークとして使われています。
この丸十紋が島津家の家紋となったのは戦国時代の終わり頃からです。それ以前は「十」の文字だけの家紋を使っていました。これに関しては、島津興業のHPでも次のように言及されています。
島津興業の社章は「丸十」、これは島津家の家紋としてあまりにも有名です。しかし、この丸十紋が島津家の家紋となったのは戦国時代の終わり頃からです。それ以前の家紋は十文字、「十」だけであり、ザビエルの手紙にも島津家当主が十字紋をつけていたことが書かれています。なぜ丸で囲まれたのか、理由ははっきりしませんが、殺伐とした時代が終わり平和になるにつれ、家紋にも装飾性が求められたからではないかといわれています。
島津興業HP『島津を知る』より引用(最終確認日:2024年4月25日)
具体的には、「丸に十文字」と「島津十字」は次のようなデザインになっています。
丸に十文字 | 島津十字 |
まるにじゅうもんじ | しまづじゅうじ |
島津家はキリシタンだったのか?
なお、十文字で想起されるのは、キリスト教の十字架ですよね。実際のところ、島津家はキリシタンだったのでしょうか?
歴史的に言えば、島津家がキリシタンだったという事実はありません。
ただし、島津貴久は、日本最初のキリスト教伝道者フランシスコ・ザビエルの一行が鹿児島に上陸した際に、キリスト教の布教を許可しています。そこには、海外からの流入する新しい技術に着目していたという背景があると言われています。
その意味では、キリシタンと深く関わっていたことは確かです。これに関しては、鹿児島県の公式HPでも次のように記述されています。
1549年(天文18年),日本最初のキリスト教伝道者フランシスコ・ザビエルの一行が鹿児島に上陸しました。彼らを案内したのは鹿児島人アンジロウ(ヤジロウ)でした。
鹿児島県HP『キリスト教の伝来』より引用(最終確認日:2024年4月25日)
当時の島津家当主島津貴久は,ザビエルとアンジロウを招き布教を許可しました。しかし,この頃よりポルトガル船が肥前平戸など鹿児島以外の港に来航するようになり,やがて領内での布教を禁止しました。
なお、島津家と争っていた大友家の当主・大友宗麟は熱心なキリシタンでした。宗麟はキリシタンの理想郷を築こうと考えたくらい熱心な信者だったのです。その大友家を打ち滅ぼしたことを考慮すると、島津家がキリシタンだったとは言えないのは理にかなっています。
島津家が使う家紋の意味
それでは、島津家は「丸に十文字」と「島津十字」を使っていた意味は何なのでしょうか?
「十字」の家紋に込められている意味には、厄を除き福を招く呪符、二匹の龍、おまじない等からきたとするなど様々な説があります。島津家初代の忠久が着用した甲冑に十字の紋が確認されており、古くから特別な意味を込めた意匠だったと考えられます。
ルイヴィトンのモノグラムは島津家が影響している?
なお、「丸に十文字」をよく見ると、ルイヴィトンのモノグラムに非常によく似ていますよね。実際のところ、モノグラムは「丸に十文字」の影響を受けているのでしょうか?
結論から言えば、島津家の家紋とルイヴィトンのモノグラムが関係している事実を示す証拠はありません。けれども、モノグラムが誕生した1896年は「ジャポニスム」という日本の様式美が非常に注目された時代でもありました。
例えば、モネが『ラ・ジャポネーズ』という浮世絵をモチーフに作品を仕上げたり、ゴッホは北斎の浮世絵技法を取り入れた作品を発表したりしていわけです。したがって、ルイヴィトンのデザイナーが日本の家紋に着目した可能性は決して0ではないわけです。
とはいえ、ルイヴィトンが「モノグラム」の構想に瓜二つの島津家を代表する「丸に十文字」の家紋を真似したとなれば、面目が立たないはずです。すなわち、最高級ブランドであるにもかかわらず、海外の文化からパクってきたなんて認められるはずがありません。
キリスト教は関係ない
島津家の家紋が十字を基調としてデザインされていることから「キリスト教と深い関係があった」と考える気持ちはわからなくはありません。
けれども、島津家にとって「十字」はキリストが布教される前から既に重要な意味を持っていたことは明らかです。その洗練された意匠は今でもなお目立っており、他の家紋とはデザインがかなり異なるのも特徴的ですよね。
何でも似ているからといって結びつけて考えると、当事者の意図とは異なる解釈が生まれてしまいます。事実を確認したうえで、見た目は同じでも異なるポイントを見出す研究が重要なのです。
参考文献及び参考サイト一覧
- 『決定版 知れば知るほど面白い!家紋と名字』綱本光悦 西東社
- 『面白いほどよくわかる 家紋のすべて 安達史人』日本文芸社
- 『家紋から日本の歴史をさぐる』インデックス編集部 ごま書房
- 『日本の家紋事典 由来と解説』大隈三好 金園社
- 『知識ゼロからの日本の家紋 入門』楠戸義昭 幻冬社
- 『国立図書館』https://www.ndl.go.jp/exposition/s1/1900.html
- 『国立図書館』https://www.ndl.go.jp/exposition/s1/1889.html
- 『姶良市』https://www.city.aira.lg.jp/yoshihirokou_close-up.html
- 『尚古集成館』https://www.shuseikan.jp/shimadzu-history/
- 『鹿児島県ホームページ』https://www.pref.kagoshima.jp/aa02/pr/gaiyou/itiban/hatu/christ.html
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