原爆で目玉が落ちる理由|写真の有無やはだしのゲンでの再現シーンを考察

原爆で目玉が落ちる理由|写真の有無やはだしのゲンでの再現シーンを考察

日本の広島と長崎は世界で唯一、核兵器が投下された戦災地として世界中に知られています。一瞬にして何十万人の尊い命が奪われる恐怖は当時を生きた人たちではないとわからないかもしれませんが、その悲劇を伝える作品は数多く存在しています。

その中には、原爆が爆発した瞬間に人々の目が飛び出して落ちるという強烈な映像を描いているものもあります。実際、核兵器によって目玉が落ちるなんてことはあり得るのでしょうか?

この記事では、原爆で目玉が落ちる理由について説明しています。残酷な表現ではありますが、それだけ恐ろしい核兵器であることを少しでも多くの方に知っていただけると幸いです。また、アニメ「はだしのゲン」の再現シーンについても言及しているので、興味のある方は参考にしてみてください。

目次

原爆で目玉が落ちる理由

さて、原子力爆弾によって人間の目玉が落ちるのは、なぜなのでしょうか?

結論から言えば、核兵器の爆発によって空気が一瞬にして膨張した後に気圧が急激に下がるため、目玉が飛び出て落ちるという現象が起きると考えられます。これは原爆に限らず、大規模な爆撃でも同様です。事実、戦時中は爆撃時には目が飛び出ると教えられたという記録があります。

「壕の中では皆、うつぶせになり、両手で両目と両耳を覆う。耳を塞いでいても、鼓膜が破れんばかりの爆発音が轟きました。目を覆わないと、爆弾の衝撃で目が飛び出る、と教えられていました。近くに爆弾が落ちると、入り口からきな臭い爆風が入ってくるんですね。みんな我慢しましたよ。息が苦しくて。爆撃機が爆弾を落とし終えてUターンして帰っていくと、みんな壕を出て、深呼吸しましたね。12月末ごろになると、空襲は倍増しました。そのころになると爆撃機が消えた途端、また次の爆撃機が来ると知らされました。『情報! 情報!』って」

現代ビジネス『「爆弾の衝撃で目が飛び出る」…硫黄島を襲った「激しすぎる空襲」の恐怖』より引用

加えて、原爆が爆発すると、落下地点の温度は3,000〜4,000度という鉄も溶けるほどにまで上昇します。その地点にいた人たちが一瞬で焼け死ぬことはいうまでもありませんが、そこから一定の距離にいる人たちもまた全身に激しい火傷を負うことになります。

その結果、目を支える顔の構造が破壊されるおそれもあるわけです。日常的に平和な世の中を生きていて、自分の目が飛び出るような被害なんて想像もできないかもしれませんが、核兵器投下後の広島や長崎では、目玉が落ちながら生死の境を彷徨う人たちがたくさんいたと言われています。

目玉が落ちる写真は存在するのか?

なお、実際に、原爆によって目玉が落ちる写真は存在するのでしょうか?

これに関しては、核兵器の被害で目玉が飛び出た人たちを撮影した写真は資料として存在します。「原爆 被害 写真」というキーワードでインターネット検索すれば、言葉では言い表すことのできない痛々しい様子の記録を閲覧できます。今の時代から考えると、現実とは思えないような恐ろしい写真ばかりです。

また、当時の様子を絵で表現したものは原爆資料館に展示されています。さすがに、生写真はあまりにもショックが大きいので、くれぐれも閲覧には注意してください。とはいえ、恐ろしい歴史の現実から目を背けずに直視した上で、「戦争を恐れて拒否する」という姿勢を持つのは大切なことかもしれません。

はだしのゲンでの再現シーンはリアルなのか?

以上のことを考慮すると、漫画「はだしのゲン」に登場する目玉が落ちるシーンはリアルであると言ってよいでしょう。そのあまりにも残酷な描写にトラウマを抱えてしまった人たちもいるかもしれません。

しかし、それが戦争なのです。主人公のゲンは原爆によって、父、姉、弟を失い、幼い妹と母も死んでしまいます。舞台となる広島では、推定14万人が原爆で一瞬にして死んだと言われています。それだけ危険な兵器なのです。

アニメや映画などのクリエイティブが戦争の恐ろしさを次世代に残していくことは大切です。一度、経験した人は、その恐怖を知るが故に戦争が絶対的な悪であると感じられるものの、現代を生きる私たちは、想像するしかありません。それを手助けしてくれるのが、『はだしのゲン』などの作品なのです。

もし興味のある人たちは、戦争に関連する作品を一度見てみてください。

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核兵器の恐ろしさを知らない時代が来る

現在、被曝者の平均年齢は85歳と言われています。したがって、今から20年が経過する頃には、生きた証人はほとんどこの世からいなくなってしまうのです。

核兵器の恐ろしさを知らない時代が来たときに、私たちは世界で唯一の被爆国であるというアイデンティティを実感を持って語ることができなくなります。ある意味では、幸せなことです。

けれども、戦争で大切な人を失ったことのないがゆえに、リアリティのない机上の空論で争いを擁護するようなメンタリティが生まれる可能性も否定できません。もちろん、考え方は人それぞれです。しかし、それは命があって初めて尊重される自由であることも忘れてはいけません。

戦争は人類の敗北です。命は失われたら二度と戻ってはきません。戦勝国だろうが、敗戦国だろうが、それは同じことです。他人の命を奪ってまで実現したい欲望の根底にある権力の魔性に民衆が地獄を見せられないように、私たちは生活様式の中に平和思想を織り込んでいく必要があります。

未来を生きるこどもたちが再び戦火に焼かれてしまうことのないように、原爆の恐ろしさをもう一度、よく知ることが大切だと思います。

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この記事を書いた人

DEEP JAPAN QUEST編集部は日本文化に関する総合情報メディアを運営するスペシャリスト集団です。DEEP JAPAN QUEST編集部は、リサーチャー・ライター・構成担当・編集担当・グロースハッカーから成り立っています。当サイトでは、日本文化全般に関わる記事を担当しています。

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