原爆の爆心地付近では、人間が一瞬で溶けるほどの高熱が生じたと言われています。具体的には、地表温度は3,000〜4,000度に達したと推計されており、とても生物が存在できる環境ではありません。
すなわち、付近にいた人たちはほとんど即死だったわけです。しかし、いくら数秒で命を失ったとはいえ、身体的に痛みの有無について気になっている人たちもいると思います。実際のところ、核兵器によって瞬時に絶命した人たちは痛みを感じていたのでしょうか?
この記事では、「広島や長崎の原爆で即死した人たちに痛みはあったのか?」という疑問について考察しています。核兵器の脅威に興味のある方たちは参考にしてみてください。
原爆で即死した人々の数
広島と長崎に投下された原爆によって亡くなった人たちの数は以下のとおりです。
地域 | 1945年末までの死者数 |
---|---|
広島 | 約14万人(誤差±1万人) |
長崎 | 約7,4万人 |
それでは、亡くなった人たちのなかで即死に該当する数はどれくらいだったのでしょうか?
ここでは、広島と長崎に分けて説明していきます。
広島の場合
第1に、広島に投下された原爆で即死した人の数はわからないのが公式見解です。これに関しては、広島市の公式ホームページでも次のように言及されています。
原爆投下後に様々な機関が調査を行っていますが、原爆によって死亡した人の数については、現在でも、正確には分かっていません。本市では、放射線による急性障害が一応おさまった昭和20年(1945年)12月末までに、約14万人が亡くなられたと推計しています。
広島市の公式ホームページから引用
長崎の場合
第2に、長崎も同様に原爆で即死した人たちの数は正確にわかっていません。ただし、1970年〜1979年年度に実施した「原爆被災復元調査事業」の報告書によれば、爆心地の500m県内には3,828名が居住しており、そのうちの3,543人が即死したことがわかっています。
広島や長崎の原爆で即死した人たちに痛みはあったのか?
さて、広島や長崎の原爆で即死した人たちに痛みはあったのでしょうか?
言うまでもなく、原爆で亡くなった人たちの痛みは本人にしかわかりません。
したがって、あくまでも、仮説にすぎませんが、原爆の爆発時は落下地点の温度が3,000〜4,000度まで上昇したと言われているため、被害者は痛みを感じる間もなく亡くなったと考えられます。太陽の表面温度が6,000度ですから、生物は一瞬で絶命するレベルの温度なのです。
けれども、時間的に一瞬だったとしても本人が痛みを感じなかったかどうかは本質的にはわかりません。身体的苦痛は他者と感覚を共有できない以上、その有無を客観的に判定したとしても、実際はわからないと言わざるを得ないのです。
一方で、原爆で負傷した人たちの身体的苦痛は明確です。筆舌に尽くせぬ痛みと闘っていたと考えられます。さらに、被曝したことで白血病になった人もいれば、大火傷で日常生活が困難になった人もいます。戦争が終わっても続く苦しみに生涯を奪われた人たちがいたことを忘れてはならないのです。
心の傷は戦後も続いた
政治的に戦争が終結したとしても、心身ともに傷ついた人たちの中で苦しみが収まるわけではありません。とりわけ、家族を失った人たちの悲しみは筆舌に尽くせぬものがあります。
また、天皇を中軸とする軍国主義の影響を強く受けていた若者たちが民主主義という新しい国家体制になって、その急激な変化にうまく適応できずに自ら命を絶ったという話もあります。
一体、何を信じて生きていけば良いのか?
誰もがその答えに迷いながら、戦後復興という厳しい課題に直面せざるを得ませんでした。
原爆で数秒も経たずして失われた命もあれば、時計の針が進むに連れて傷つけられていく命もありました。どれも同じ戦争による死です。この歴史に刻まれた過ちを私たちは、今もう一度、胸に刻み、戦火に再び包まれることのない明日をつくっていかなければならないのです。
コメント