知覧特攻平和会館が怖いと言われる理由|泣く人がいるのは本当なのか?

知覧特攻平和会館が怖いと言われる理由|泣く人がいるのは本当なのか?

第二次世界大戦でアメリカ軍を震撼させた「特攻隊」は日本の歴史でも残酷な決断であると言わざるを得ません。特攻隊員が残した遺書の中には「お国のために喜んで死ぬ」と書いてあるものがあったとはいえ、内心では筆舌に尽せぬほどの恐怖でいっぱいだったと思います。

その特攻隊に関する記録を展示している「知覧特攻平和会館」ですが、訪れた人たちの中には「怖い」という感想を抱く人たちもいるようです。実際のところ、どうして恐怖を感じるのでしょうか?

この記事では、知覧特攻平和会館が怖いと言われる理由を考察しています。また、「泣く人がいるのは本当なのか?」という疑問についても言及しているので、興味のある人たちは参照してみてください。

目次

知覧特攻平和会館の概要

知覧特攻平和会館は鹿児島県南九州市知覧町にあります。第二次世界大戦末期に実行された特攻作戦に関する資料や遺品を展示する施設です。当時、知覧は特攻隊が出撃する拠点となっており、多くの若者が命を懸けて敵地へと飛び出しました。

館内には、特攻隊員が残した遺書や手紙のほかにも、遺品や写真も展示されています。この施設の目的は、特攻隊員の犠牲を通じて戦争の悲惨さを伝え、平和の尊さを後世に伝えることにあります。

訪れる人々は、特攻隊員たちの人生に触れ、戦争の教訓を学ぶとともに、「二度と戦争を繰り返さない」という気持ちを抱くに違いありません。詳細は公式HPをご確認ください。

知覧特攻平和会館が怖いと言われる理由

さて、知覧特攻平和会館に「怖い」と感じる人たちもいるようです。一体、どうしてなのでしょうか?

結論から言えば、特攻隊員の遺書や写真などの記録を閲覧したときに戦争の恐ろしさを感じることから「怖い」という感想を持つと考えられます。

いうまでもなく、特攻隊は飛行機に片道分の燃料しか積んでいません。すなわち、死ぬことが確定した作戦であり、戦争に勝っても負けても未来がないことが決まっていました。20代や30代の若者が国のために命を賭けて戦ったのです。

それだけ聞くと「勇敢な兵士」であると思う人もいるかもしれませんが、当時の日本で特攻隊に選ばれた人たちは「死にたくない」なんて言えるような環境ではありませんでした。誰も口にしないだけで、本当は怖くて堪らなかったに違いありません。

展示を通じて、こうした特攻隊員の状況を知れば、だれだって「戦争は怖い」と感じるはずです。

なかには、「心霊的な恐怖を感じる」という人たちもいるようです。いわゆる、霊感の強い人は怖いと感じてしまうわけですね。けれども、特攻隊員の人たちが残した資料や、それを伝えるために働いている人たちに対して、それはあまりにも悲しい感想であると思います。たしかに、特攻隊員として死んだ人たちのだれもがこの世に未練があったに違いありません。しかし、亡くなってから「お化け」として恐れられるなんて可哀想です。実際のところはわかりませんが、彼らを霊的に怖がったり、ネタにしたりするのはやめましょう。その結果、だれも立ち寄らなくなってしまえば、彼らが残した戦争の恐ろしさを伝えるものは無駄になってしまいます。彼らの供養のためにも、霊的な存在として恐れるのではなく、彼らが当時、感じていた悲しみと恐ろしさに共感して、これからの時代について考えるべきなのです。

知覧特攻平和会館で泣く人がいるのは本当なのか?

なお、知覧特攻平和会館で泣く人がいるのは本当なのでしょうか?

やはり、共感力の強い人は特攻隊員の立場を想像して涙を流してしまうと思います。特に、彼らが残した遺書や手紙を読むと、死の前に恋人や家族を想い綴られた深い愛情に胸を打たれるでしょう。

だれだって死にたくなかったに決まっている。若者が自分に未来がないと決まって生きる今とは、どんなものだったのか。その切なさを言葉で表すことはできません。実際に、特攻隊員として飛び立っていった人たち以外に本当の気持ちはわからないでしょう。

赤の他人として客観的に彼らのメッセージを読んでもなお、涙腺を刺激するようなものを感じるのは、きっと「ああ、もっと生きれていれば……」という願いのようなものを抱いたからかもしれません。

遺書や手紙の内容は一部ネットでも公開されています。気になる人たちはぜひ、知覧特攻平和会館の公式HPにアクセスしてみてください。

生命を手段にした罪は重い

戦争には勝者と敗者がいます。けれども、善人と悪人はいません。一国のリーダーが決断しようが、民衆が革命を起こした末に起きた争いだろうが、他人の生命を奪った瞬間に取り返しがつかないのです。その意味では、特攻隊員という生命を手段にした作戦を考案した罪は重いと言わざるを得ません。

もちろん、日本の軍部もまた狂ったような状況の中で互いに圧力を感じながら、勝つしかない戦争のために限界を超えた決断をするしかなかったのかもしれません。それでも死ぬことが確定している作戦を他人に命じるのは殺人行為に等しい気がします。未来がないことがわかるのはあまりにも残酷です。

知覧特攻平和会館は怖い場所です。でも、それは戦争の恐ろしさを伝える場所だからです。怖い場所で良いんです。それが目的なんです。もし、まだ来館したことのない人たちがいるならば、ぜひ一度勇気を出して行ってみてください。きっと、今ある1日に感謝して生きるきっかけになると思います。

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この記事を書いた人

DEEP JAPAN QUEST編集部は日本文化に関する総合情報メディアを運営するスペシャリスト集団です。DEEP JAPAN QUEST編集部は、リサーチャー・ライター・構成担当・編集担当・グロースハッカーから成り立っています。当サイトでは、日本文化全般に関わる記事を担当しています。

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