安倍晴明の妻は誰だったのか?梨花と葛の葉、伝説と史実の狭間

安倍晴明の妻は誰だったのか?梨花と葛の葉、伝説と史実の狭間
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平安時代を代表する陰陽師として名高い安倍晴明。その謎めいた力と数々の伝説は、現代にもなお私たちを魅了し続けています。彼の生涯は歴史とフィクションが複雑に絡み合っていますが、特に謎が深いのが「安倍晴明の妻」についてです。

史実では詳しい記録が残されていない一方、古典や伝承では「梨花」という名の妻や、「葛の葉」という狐の母親の伝説が語られています。本記事では、安倍晴明の妻についての史実と伝説を徹底解説し、なぜこのような物語が生まれたのかを探っていきます。

目次

安倍晴明とは?基本プロフィールと史実

安倍晴明(あべ の せいめい)は、921年2月21日に生まれ、1005年10月31日に84歳で亡くなったとされる平安時代の陰陽師です。「晴明」という名前は「せいめい」と読むことが一般的ですが、「はるあき」や「はるあきら」とも読まれることがあり、正確な読み方は確定していません。

史実によれば、安倍晴明の父親は安倍益材(あべのますき)で、官位は従四位下天文博士でした。天文博士として朝廷に仕え、天体・気象観測を行い、異変があれば天皇に報告する重要な役割を担っていました。晴明は長徳元(995)年に「蔵人所陰陽師(天皇直属の陰陽師)」となり、長保二(1000)年には従四位下、左京権大夫(左京副長官)と出世の階段を上り、亡くなる5年前の75歳で陰陽道界の頂点に立ちました。

現代のフィクションでは、安倍晴明は霊を操る超常的な能力を持つ人物として描かれることが多いですが、実際の陰陽師は国家公務員としての「占い師」でした。陰陽道の専門家として、朝廷で暦の作成や貴族のスケジュール管理を主な業務としていました。

陰陽寮という役所は、陰陽部門(ト占)、暦部門(暦制作)、天文部門(天体・気象観測)、漏刻部門(時間の計測)で構成されており、安倍晴明はその中の天文博士として活躍していたのです。決して身分は高くありませんでしたが、才能によって評価され、「道の傑出者」「陰陽ノ達者ナリ」などと評されるほどの実力者でした。

史実における安倍晴明の妻

安倍晴明の実際の妻については、残念ながら史実ではほとんど明らかになっていません。公式な史料には安倍晴明の妻についての記述がほとんど残されておらず、その名前すら不明とされています。

しかし、歴史的には安倍晴明には子供がいたことが確認されており、安倍吉平や安倍吉昌といった息子たちが父の後を継いで陰陽師となったことがわかっています。これは当然妻がいたことを意味しますが、残念ながらその詳細については記録が残っていないのです。

この史料の不足が、後の時代に様々な伝説や物語が生まれる余地を作ったと考えられます。特に母親についての記録がないことから「母親が人間ではない」という想像が広がり、のちの物語に影響を与えたことは想像に難くありません。

伝説の中の安倍晴明の妻「梨花」

古典の物語の中では、安倍晴明の妻として「梨花(りか)」という女性が登場します。特に江戸時代初期の寛文2年(1662年)に刊行された仮名草子『安倍晴明物語』にその姿が描かれています。

この物語では、梨花は単なる妻ではなく、重要な物語の要素として描かれており、蘆屋道満(あしやどうまん)との三角関係が物語の大きな山場となっています。また、ある伝承によれば、梨花自身も霊力を持ち、鬼を見ることができたとされています。

『安倍晴明物語』に収録された「道満に妻を奪われる清明の巻」によれば、蘆屋道満は晴明(清明とも表記)との術比べに負けた後、清明に仕えるようになります。しかし、道満は次第に清明の妻・梨花に恋心を抱くようになり、清明が中国に留学している間に梨花と関係を持ってしまいます。

清明が帰国すると、道満は梨花を自分のものにするために、酔った清明を騙して賭け事で勝ち、約束通り清明を斬り殺してしまいます。しかし、清明は師匠の力で蘇生を果たし、騙して殺した道満に復讐し、裏切った元妻の梨花も斬って捨ててしまったという残酷な結末になっています。

この物語では、安倍晴明と蘆屋道満の対立が女性(梨花)をめぐる三角関係として描かれており、物語に感情的な要素を加えています。これは実際の史実というよりも、後世の人々が作り上げた伝説的な物語であり、歴史的事実とは異なる可能性が高いでしょう。

別の伝承によれば、梨花にも霊力があり、鬼を見ることができたとされています。そのため清明は、妻が怯えるという理由で、自身の式神を橋の下に隠しておいたというエピソードも伝わっています。

この設定は、安倍晴明の強大な霊力に匹敵する存在として、その妻も特別な能力を持っていたという物語上の必然性から生まれたものかもしれません。あるいは、晴明の特別な能力が家族にも受け継がれていたという考えから、妻も超常的な能力を持っていたと想像されたのかもしれません。

母と妻の混同:葛の葉伝説との関係

安倍晴明の家族を語る上で避けて通れないのが「葛の葉(くずのは)」の伝説です。多くの伝説では、葛の葉は安倍晴明の妻ではなく母親として描かれています。この伝説は室町時代に作られた安倍晴明出生説話の登場人物で、キツネが人間の姿に化けた女性とされています。

伝説によれば、安倍保名(あべのやすな)が助けた狐が人間の姿に変身した葛の葉と結婚し、その間に生まれた子供が後の安倍晴明というものです。葛の葉は子供に自分が狐であることを知られ、「恋しくば 尋ね来て見よ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉」という和歌を残して姿を消すという悲しい物語です。

この「信太妻」あるいは「信田妻」(しのだづま)と呼ばれる物語は、鎌倉時代から江戸時代にかけて広く知られるようになり、説経節や浄瑠璃、歌舞伎などの題材として多くの作品に取り上げられました。

安倍晴明の妻(梨花)と母親(葛の葉)の伝説が混同されることがありますが、これには以下のような理由が考えられます:

  1. 史実の不足: 安倍晴明の家族に関する史実の記録が少ないため、後世の創作の余地が大きかった
  2. 物語の普及: 「信太妻」物語が広く普及し、葛の葉の存在がより知られるようになった
  3. 類似の主題: 両方の物語が「超自然的な女性と人間の関係」という共通のテーマを持っている
  4. 時代による変化: 伝承が時代とともに変化し、混同されていった

これらの要素が複合的に絡み合い、安倍晴明の妻と母親の物語が混同されるようになったと考えられます。現代においても、この二つの伝説は時に混同されることがあります。

異類婚姻譚の普遍性

安倍晴明の母親を狐とする「異類婚姻譚」は日本独自のものではなく、世界各地に類似の物語が存在します。異なる種族(人間と動物など)の結婚を描くこのような物語は、シャーマンや超能力者、王の先祖の生誕とのむすびつきを示す説話として機能してきました。

例えば、古代朝鮮の『檀君神話』では天帝の子が熊の女と結婚し檀君が誕生しますし、モンゴル帝国のチンギスハンの先祖も動物との関係から生まれたとされています。これらは共通して、普通の人間ではない特別な能力を持つ人物の出自を説明するための物語となっています。

安倍晴明の妻をめぐる物語、特に梨花と道満の三角関係の悲劇や、葛の葉の子別れの悲しみは、当時の社会構造や身分制度を反映していると考えられます。

室町時代から江戸時代にかけての社会では、身分の違いによって結婚が困難な場合が多くありました。「素性・身分の差別で結婚できない、結婚しても素性・身分が発覚して別れなければならない」という物語は、当時の人々の現実的な苦悩を反映していたのでしょう。

また、下級芸能者など賤民とされた人々が、「賤民ではない」と主張するための物語としての側面もあったと考えられています。下級芸能人の中には声聞師(しょうもじ)という呪術的要素を有する雑芸人が存在し、彼らは平安時代の陰陽師の流れをくむと自称していました。そのような背景から、陰陽師の祖である安倍晴明の出自を特別なものとする物語が生まれたのかもしれません。

まとめ:伝説と史実の狭間にある安倍晴明の妻

安倍晴明の妻についての探求は、史実と伝説の狭間を行き来する旅となりました。史実では妻についての詳しい記録はなく、その名前すら不明ですが、伝説の中では「梨花」という名の霊力を持つ女性として描かれています。

一方で、安倍晴明の母親を狐の化身「葛の葉」とする物語も広く知られており、時にこれらの伝説が混同されることもあります。これらの物語は、超自然的な力を持つ安倍晴明の特別な能力の源泉を説明するとともに、当時の社会構造や人々の願望を反映したものと考えられます。

安倍晴明の妻や母親をめぐる伝説は、浄瑠璃や歌舞伎などの古典芸能から現代の映画やドラマまで、日本文化に大きな影響を与え続けています。史実としての真実がどうであれ、これらの物語は日本人の想像力と文化的アイデンティティの一部として、これからも語り継がれていくことでしょう。

最後に、安倍晴明の妻についての探求は、単なる歴史的事実の追求を超えて、私たちが歴史と伝説をどのように織り交ぜて自分たちのアイデンティティを形成していくかという、より大きな問いかけを含んでいるのかもしれません。史実の不足が伝説を生み、その伝説が文化となり、現代に至るまで私たちの想像力を刺激し続けているのです。

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