太平洋戦争末期、「特別攻撃隊」として命を散らした若者たちの真の思いを知ることは、現代に生きる私たちにとって重要な課題です。一般的に「特攻隊=祖国のために自ら志願した英霊」というイメージがありますが、実際の特攻隊員たちの心情はそれほど単純ではありませんでした。
本記事では、生還した元特攻隊員の証言や遺された手紙、日記などの一次資料を基に、特攻に向かった若者たちの複雑な心境を探ります。彼らの声なき声に耳を傾け、歴史の教訓として受け止めるために、特攻隊員の本音を知る方法を徹底解説します。
特攻隊とは?
特攻隊(特別攻撃隊)は、太平洋戦争末期の1944年10月、フィリピンのレイテ沖海戦において初めて編成された、日本軍の自爆攻撃部隊です。航空機、潜水艦、水上艇など様々な兵器を用いて、操縦者もろとも敵艦に体当たりする作戦で、「十死零生(じっしれいせい)」という言葉が示すように、生還の見込みはほぼゼロでした。
特攻作戦は「作戦の外道」とも言われましたが、当時の日本軍は物資も兵力も枯渇し、米軍の圧倒的な物量に対抗するため、若者の命と引き換えに少しでも多くの敵艦艇を撃沈する手段として採用したのです。特攻隊員の多くは20代前半、中には10代の若者もいました。約3,800人の特攻隊員が命を落としたとされています。
長く戦後社会では、特攻隊員は「英霊」として美化される一方で、「軍国主義の悪しき象徴」として批判されるという、二項対立的な見方がなされてきました。しかし近年、戦争体験者が少なくなる中で、生き残った元特攻隊員たちが次々と証言を始め、複雑な真実が明らかになってきています。池上彰氏は「戦争を美化するような動きに対して、『いやいや、本当の戦争を知ってほしい』と、多くの人が今、思うようになった」と指摘しています2。
特攻隊の気持ちを知る方法
方法1:生還した特攻隊員の証言から学ぶ
特攻隊の本音を知る最も直接的な方法は、奇跡的に生還した元特攻隊員の証言を聞くことです。特攻機のエンジントラブルや天候不良などが理由で帰還した隊員、また直掩機(特攻機の護衛・戦果確認機)として特攻機を見送った隊員たちの証言は、当時の状況や心情を知る貴重な資料となります。
例えば、5度の特攻出撃から生還した小貫貞雄二飛曹(戦後、杉田と改姓)は、特攻隊員募集の際の状況について、「諸君は空の神兵である。ただいまより特別攻撃隊員を募集する。我と思わん者は一歩前へ出よ」という呼びかけに対し、最初は誰も動かなかったものの、誰かが前に出ると、全員がつられるように前に出たと証言しています。
小貫氏は「いま風に言えば『同調圧力』に屈した」と述懐し、当時18歳だった彼は「しまったと思ったが、もう後戻りはできなかった」という心境を吐露しています1。これは「自ら進んで志願した」というよりも、若者たちが置かれた過酷な状況と社会的圧力の中での選択だったことを示しています。
生還者の証言を通じて、特攻隊員の志願が必ずしも「純粋な愛国心」だけではなく、様々な要因が複雑に絡み合っていたことが理解できます。こうした生の声は、歴史教科書には記されない真実を伝えてくれます。
方法2:遺された手紙や日記を分析する
特攻隊員が遺した手紙や日記は、彼らの内面を知る上で非常に価値のある資料です。特に出撃直前に書かれた遺書や日記には、死を目前にした若者たちの率直な思いが記されています。
例えば、京都帝国大学経済学部(現・京都大学)から学徒出陣し、22歳で特攻により亡くなった旗生良景少尉の日記には、「心に残るは敏子のことのみ。弱い心をお笑いください。然し死を前にして敏子に対する気持ちの深さを今更の様に驚いています。人間の真心の尊さを思ってください」と記されていました。
また、穴澤英雄大尉は婚約者の智恵子さんに宛てたラブレターで、「あなたの幸せを希ふ以外に何物もない。徒に過去の小義に拘る勿れ。あなたは過去に生きるのではない。勇気を持って、過去を忘れ、将来に新活面を見出すこと。智恵子、会ひ度い、話し度い、無性に。今後は明るく朗らかに。自分も負けずに、朗らかに笑って征く」と綴っています3。
これらの手紙や日記からは、公式の歴史には記録されない、彼らの人間的な側面が浮かび上がってきます。祖国への思いと同時に、愛する人への思い、まだ若い命を散らせることへの複雑な感情が交錯していたことがわかります。
方法3:彼らを取り巻いた人々の証言から理解する
特攻隊員を直接知る人々の証言も、彼らの本音を理解する上で重要な手がかりになります。特に「特攻の母」と呼ばれた鳥濱トメさんのような、特攻隊員と日常的に接していた民間人の記録は貴重です。
鹿児島県知覧の富屋食堂を営んでいたトメさんは、特攻隊員たちの最後の食事を用意し、母親代わりとして彼らの心の支えとなりました。トメさんは戦後、「特攻隊員たちが『犠牲』『犬死に』とひとくくりにされることに我慢できなかった」と語り、「隊員さんたちの真実を伝える語り部として、彼らがどのように生き、なんのために死んだのかを語り続けていこう」と決意しました5。
トメさんは卵焼き、サツマイモの天ぷら、ジャガイモの煮付けなどを作って供し、特攻隊員たちの最後の時間を温かく見守りました。食材を買うお金が底を突きそうになると、自分の着物や家財道具を売って工面したといいます。こうしたトメさんとの交流を通じて、特攻隊員たちは素顔の自分を見せ、本音を語ることができたのです。
また、家族や恋人、友人などの証言も重要です。彼らとの別れの場面や、残された遺族の思いを通して、特攻隊員たちの人間性や本音に近づくことができます。
どんな気持ちで出撃していたのか?
特攻隊員たちは出撃に際し、どのような気持ちを抱いていたのでしょうか。様々な証言や資料を総合すると、彼らの心情は一様ではなく、個人によって、また同じ人物でも時間の経過とともに変化していったことがわかります。
小貫貞雄氏は出撃前の心境について、「飛行機が離陸するまでは、やはり後ろ髪を引かれますね。怖いのを通り越して、なぜ俺、18で死ななきゃならないのかな、まだ世の中のことを何も知らないのに、これで終わるのか、いやだなあ、親孝行もできなかったな、などといろいろ考える」と率直に語っています。
しかし、「離陸して編隊を組んでしまうと、気持ちが吹っ切れて、よし、一番でかいのにぶつかってやれと、意識が敵のほうに向かう」とも述べており、極限状況の中で心理状態が変化していく様子がうかがえます。
また、出撃を重ねるごとに心境が変化したことも証言しています。「特攻出撃を繰り返しているうち、だんだん、戦友がみんな死んでるのに自分が生きているほうがおかしいと、意識が変わってきました。出撃前の別杯も、最初はお神酒だったのが、次は水盃、あとになったらそんなこともしなくなった」という言葉からは、死を前にした諦念と、生き残ることへの複雑な感情が読み取れます。
一方、彼らを見送った人々の証言からは、また違った側面が見えてきます。直掩機として特攻機を見送った荒井敏雄上飛曹は「離陸してから突入するまでずっと、爆装機の搭乗員の顔は涙でくしゃくしゃで、かわいそうでした」と証言しています1。これは、公式の英雄的物語とは大きく異なる、特攻の悲惨な実態を示すものです。
若者たちの本音
特攻隊員の本音はどのようなものだったのでしょうか。彼らの証言や遺書を分析すると、「志願」と「強制」の間で揺れる複雑な心境が浮かび上がります。
一般的に、特攻が「志願」だったと強調する人々は、特攻隊員の遺書や遺稿に溢れる「志願」「喜び」「熱意」の言葉を根拠にします。例えば、特別操縦見習士官二期生として知覧で教育を受けていた勝又勝雄少尉は、出撃前日に親友に宛てた手紙で「喜んで下さい。勝又は漸く服ちやん達の期待と応援に報ゆることの出来るうれしさで一杯です」と書いています。
しかし、これらの「志願」の言葉を鵜呑みにするのは危険です。当時の状況を考慮せず、彼らの内面に一歩も踏み込まなければ、真実は見えてきません。実際には、「特攻が嫌だと思ったことは一度もない。俺たちがやらないで誰が敵をやっつけるんだ」と語る元隊員もいれば、「死ぬのがわかってて自分から行きたいと思うやつはいないでしょう。みんな志願なんかしたくなかった。私も志願しなかったけど、否応なしに行かされたんです」と語る元隊員もいます。
この対照的な証言は、特攻隊員たちの心情が一人ひとり異なり、同じ人物でもその時々で複雑に揺れ動いていたことを示しています。「生存本能」と「使命感」、「個体保存の本能」と「種の保存の本能」がせめぎ合う極限状態において、彼らの心情は単純に言い表せるものではなかったのです。
さらに、当時の社会状況も考慮する必要があります。戦時中の日本では、個人の意思よりも国家や天皇のために命を捧げることが美徳とされました。そのような空気の中で、若者たちは本音を語ることすら許されなかったのかもしれません。しかし、その表面的な「志願」や「覚悟」の裏側には、家族や恋人への思い、若くして命を散らすことへの悔しさや恐怖など、様々な感情が秘められていたと考えられます。
まとめ:時の流れで消えないように
特攻隊員の本音を知る方法として、生還した元隊員の証言、遺された手紙や日記、彼らを取り巻く人々の記憶など、様々な角度からのアプローチが可能です。それらの声に耳を傾けることで見えてくるのは、「英霊」という一面的なイメージではなく、喜怒哀楽を持ち、愛し、恐れ、希望を抱いた若者たちの姿です。
特攻隊員の中には、使命感に燃えて志願した者もいれば、同調圧力に屈して志願せざるを得なかった者もいました。出撃前には祖国への忠誠と同時に、家族や恋人への思い、自らの命への未練など、複雑な感情を抱えていたのです。そのような彼らの真の姿を理解することは、戦争の本質を考える上で非常に重要です。
特攻隊の歴史は、単に過去の出来事ではなく、現代社会にも多くの示唆を与えています。集団心理の恐ろしさ、指導者の責任、個人の尊厳と国家の関係など、考えるべきテーマは多岐にわたります。特攻隊員の本音を知ることは、これらのテーマについて深く考える契機となるでしょう。
彼らの声なき声に耳を傾け、一人ひとりの人間としての尊厳を大切にしながら、特攻という歴史的悲劇を正しく理解し、次世代に伝えていくことが、私たちに課せられた責務なのです。
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