広島と長崎への原爆投下は、多くの日本人にとって「予告なき攻撃」というイメージが強く定着しています。しかし、歴史資料を紐解くと、実は再三にわたる予告があり、一部の日本軍将校はその情報を入手していたことが明らかになっています。
本記事では、原爆投下に関する誤解の真相と、広島・長崎以外にも候補地として検討されていた都市について詳しく解説します。歴史の真実を知ることは、未来への教訓としても重要な意味を持つのです。
原爆投下が事前に知られていた?
「広島と長崎への原爆投下は予告なしに行われた」というのが日本での一般的な認識ですが、複数の歴史資料によると、この認識は正確ではありません。実際には、原爆投下に関する警告は「再三再四」行われていたとされています。

知られていた情報と伝えられなかった真実
東洋経済オンラインの記事によれば、原爆投下についての情報を入手した一部の陸海軍将校は事前に現地を離れ、洞穴に潜んでいたという衝撃的な事実が報告されています。しかし、そのような情報が一般市民や捕虜に伝えられることはなく、彼らは「見殺し」にされた形となりました。
さらに注目すべきは、広東で外国放送傍受を担当していた日本兵が原爆投下の予定日まで上司に報告していたにもかかわらず、その情報が握りつぶされていたという事実です。これは軍上層部が市民の安全より作戦遂行を優先させた証拠とも言えるでしょう。
米国側の予告と日本側の対応
原爆投下の前に、日本への降伏勧告としてポツダム宣言が発表されていました。このポツダム宣言には、日本が受け入れなければ「迅速かつ完全なる破壊」があると警告していましたが、当時の鈴木貫太郎内閣はこれを「黙殺」すると称して事実上拒否したとされています。
米国側からすれば、この「破壊」に原爆も含まれていたと解釈できますが、日本側には具体的にどのような兵器が使用されるかについての明確な情報は与えられていませんでした。しかし、外国からの情報収集能力を持っていた一部の軍関係者は、新型爆弾の存在を把握していたという証言もあります。
広島原爆後の対応
広島市に原爆が投下された直後、日本の陸海軍は合同調査団を派遣しています。驚くべきことに、その調査結果は「新型爆弾恐るるに足りず」という結論になり、「白い服を着ていたものは助かった」「防空壕に入っていたものは無傷であった」などの事例から対処法が新聞等で報じられました。
この対応からも、日本政府や軍部は原爆の真の脅威を理解していなかった、あるいは国民にパニックを起こさせないために意図的に情報を制限していた可能性が高いと考えられます。放射線の影響についてはほとんど触れられることなく、原爆被害は明らかに軽視されていたのです。

誤解の真相と落とす予定だった場所も紹介
原爆投下をめぐっては、様々な誤解や「神話」が存在します。その代表的なものとして、「原爆投下によって日本は降伏を決断した」という説があります。しかし、歴史研究によれば、日本の降伏を決定づけたのは原爆よりもむしろ「ソ連参戦」(1945年8月9日)だったとされています。
当時の日本は中立国であったソ連を仲介として連合国と講和を探っていましたが、そのソ連自体が参戦することで日本政府も軍部も「万策尽きた」状態となり、ポツダム宣言受諾に傾いたとされています。
また、「原爆投下の背景には日本人への人種差別感情があった」という説も誤りとされています。実際、マンハッタン計画が始動した時点では、主たる標的はナチスドイツであり、「初めから日本に原爆を投下するつもりだった」という説は正確ではありません。
原爆投下の候補地
意外に知られていないのは、広島と長崎以外にも多くの日本の都市が原爆投下の候補地としてリストアップされていたという事実です。アメリカ軍の当初の計画には、東京湾、横浜、川崎、名古屋、京都、大阪、神戸、福岡、熊本なども含まれていました。

特に京都は、その文化的重要性と人口密度の高さから「もっとも理想的な投下目標」と考えられていました。京都が選ばれた理由には次のようなものがありました:
- 人口100万を有する都市工業地域である
- 日本のかつての首都であり、他地域が破壊されるにつれて人口や産業が移転していた
- 日本の知的中心地であり、原爆の意義を正しく認識する可能性が高いと考えられた
- 三方を山に囲まれた盆地という地形が効果的な破壊を可能にする
しかし、結果的に京都は投下目標から外されました。これは当時の陸軍長官スティムソンの判断によるもので、彼は「京都という知的中心地への原爆投下は、戦後において日本とアメリカとの和解が難しくなり、ソ連に接近させる可能性がある」と考えたためでした。
広島と長崎が選ばれた理由
最終的に、原爆投下の目標都市として広島、小倉(現在の北九州市)、長崎が選ばれました。当初は小倉が第2目標でしたが、天候条件により長崎に変更されています4。これらの都市が選ばれた具体的な理由を見ていきましょう。
広島が選ばれた理由
広島は次のような理由から選ばれました:
- 陸軍の重要補給基地であり、都市工業地域の中心に位置する物資積出港だった
- レーダーの格好の目標であり、広い範囲にわたって損害を与えることができる程度の広さの都市だった
- 隣接する丘陵地があり、それが爆風被害をかなり大きくすると予測された
また、広島は当時までに大規模な空襲を受けていなかったため、原爆の被害を純粋に評価できる状態だったことも選定理由の一つとされています。
長崎が選ばれた理由
長崎は以下の理由から選ばれました:
- 戦艦「武蔵」を建造した造船所や製鋼所、兵器製造工場などが集まる日本軍の重要都市だった
- アメリカ軍は「軍事拠点を破壊し、太平洋戦争(第二次世界大戦)を続ける日本を早期に降伏させよう」と考えていた
しかし、歴史家による研究では、長崎への原爆投下時の投下目標は三菱兵器工場などの軍事拠点ではなく、軍事的目標のない商業地区の常盤橋が目標地に選ばれていたという事実も明らかになっています。これは、原爆の真の目的が民間人に対する心理的効果を重視していたという見方を裏付けるものです。
原爆投下の真の目的
アメリカが原爆を投下した真の目的については、様々な見解があります。一般的には「戦争を早期に終結させ、アメリカ兵の命を救うため」という説明がされていますが、歴史研究者の間では次のような見解も示されています:
- ソ連に対する威嚇として原爆の威力を示す必要があった
- 巨額の費用をかけて開発された原爆を実際に使用する必要があった
- 日本の降伏条件をめぐる政治的駆け引きの一環だった
特に注目すべきは、バーンズ国務長官が後に「われわれは……、ソ連を戦争に参加させたくなかった」と述べている点です9。これは、原爆投下がソ連の参戦前に日本を降伏させ、東アジアにおけるソ連の影響力拡大を防ぐ意図があったことを示唆しています。
まとめ:戦争が続けば他の地域にも落ちていた
日本の降伏が遅れていれば、さらに多くの都市に原爆が投下されていた可能性が高いです。アメリカはすでに第3発目の原爆も準備していたとされ、日本軍の抵抗が続いた場合には、京都を除く候補地リストに挙げられていた東京湾周辺や横浜、名古屋などの主要都市も標的となっていたでしょう。
原爆投下をめぐる事実と誤解の検証から私たちが学べるのは、正確な情報へのアクセスがいかに重要かということです。当時の日本政府や軍部は、一部が原爆投下の可能性を知りながらもその情報を適切に活用せず、また市民にも伝えなかったことで多くの命が失われました。
現代においても、重要な情報が特定の権力者によって独占されたり、歪められたりすることの危険性を認識し、歴史的事実を正確に理解することが、将来の悲劇を防ぐために不可欠です。
最後に、原爆投下をめぐる歴史認識は国によって大きく異なります。アメリカでは「戦争を終わらせた」「多くの命を救った」という見方が一般的ですが、日本をはじめとする他の国々では異なる見解が存在します。こうした歴史認識のギャップを埋め、核兵器の非人道性についての共通理解を深めることが、核なき世界への第一歩といえるでしょう。
世界のどの国も、二度と広島・長崎のような悲劇を経験することがないよう、私たちは歴史から学び続ける必要があります。そして、事実に基づいた正確な歴史認識こそが、平和な未来を構築するための基盤となるのです。