原爆で人間が溶ける理由|地下にいた人は助かったのか?

原爆で人間が溶ける理由|地下にいた人は助かったのか?

広島や長崎に投下された核兵器は一瞬にして数万規模の人間を殺傷しました。これは歴史的に見ても類例のない大量殺戮であり、その脅威は言葉で言い表せないほどのものです。戦争はいかなる目的によっても正当化してはならない人類の敗北です。

戦後、原爆の恐ろしさを伝えるために、数多くの映画やアニメが制作されました。その中には、当時の様子として「人間が溶ける」というショッキングなシーンを描いているものもあります。一体、どうして、そのような恐ろしい事態が発生するのでしょうか?

この記事では、「原爆で人間が溶けるのはなぜなのか?」という疑問について考察しています。また、「当時、地下にいた人は助かったのか?」という問いに言及しているので、核兵器の恐ろしさについて学びたい人たちは参考にしてみてください。

目次

原爆で人間が溶けるのはなぜ?

さて、核兵器によって人間が溶けるのは、どうしてなのでしょうか?

原爆の爆発時には落下地点の温度が3,000〜4,000度まで上昇すると言われています。当然、人間をはじめ生物は一瞬で溶けてしまうほどの高温です。太陽の表面温度が約6,000度であることを考慮すると、その異常さがわかりやすいかもしれません。

爆心地周辺にいた人たちは、おそらく痛みを感じる間もなく即死だったと推察されます。

また、爆心地から3キロメートル以内にいた人は火傷を負いました。強力な熱線が身体に当たると、皮膚に含まれる水分が水蒸気に変化します。それによって膨らんだ皮膚は裂けて垂れ下がってしまうのです。実際、原爆資料館では皮膚が溶けたように爛れた人たちの記録が残されています。

地下にいた人は助かったのか?

なお、広島や長崎に投下された原爆が爆発した際に、地下にいた人たちは助かったのでしょうか?

結論から言えば、当時、爆心地から500m以内にいた78人が生き残ったと言われています。その中には、地下にいたことで九死に一生を得たケースもあります。詳しく知りたい方は、広島平和記念資料館の公式HPをご覧ください。

しかし、地下にいれば助かるなんてレベルの爆撃ではありませんでした。命を奪われずに済んだ人たちは偶然に偶然が重なった結果だったのです。

実際、核兵器からは放射線も発せられるため、地下にいたとしても距離次第では命を落とす可能性は極めて高いと言えます。加えて、建物が倒壊してその下敷きになって亡くなった人たちもたくさんいました。

屋外にいるよりも生き残る確率は高くなるとはいえ、原爆の脅威的な殺傷能力は人間はおろか生物が存続する環境それ自体を破壊するものなのです。

水を飲んではいけないと言われていた

当時、原爆の被害を受けた人たちは喉の渇きから「水を飲みたい」と言っていたという記録が残されています。しかしながら、水を口にした後に亡くなった人たちも数多くいたと言われています。一体、どうして水を飲んではいけなかったのでしょうか?

結論から言えば、水を飲むことそれ自体が必ずしも死に直結するわけではありません。これに関しては、中国新聞社の「10代がつくる平和新聞ひろしま国」の取材に応じた広島赤十字・原爆病院の土肥博雄院長が次のように回答しています。

一般論として、水分をとると血流が良くなるため、けがをしていた場合は再び出血する場合がある。「戦時中は、そういう現場を体験したことがある軍人たちが水を与えないようにと指示していた可能性はある」と教えてもらった。

で、被爆者の場合はというと、ケース・バイ・ケースなんだそうだ。土肥院長は「やけどがどのくらいひどいか、内臓破裂などの出血はないかなど、一人一人の状態によるので一律には言えない。瀕死の人なら、水を飲んでも、飲まなくても亡くなった可能性が高い」という。水を与えてよかったかどうかは、普通の人には分からなかったということだね。

中国新聞社『被爆者に水をあげてはだめだった?』より引用

当時、原爆の被害で生死の境を彷徨っていた人たちを「何とかして助けたい」と思っていた方たちは、「水が欲しい」と言いながら命を落としていく姿にさぞ胸を痛めたに違いありません。もし、その人が自分の家族だったならば、今の時代を生きる私たちでも心が押しつぶされそうなほど苦しくなるはずです。

原爆は絶望的な兵器である

繰り返しになりますが、核兵器は爆発時にとてつもない高温の火球を生み出します。一説によれば、その温度は7,700度にも上ると言われています。太陽の表面温度を超えるほどの熱が生じる以上、そこに地球上の生物が存在することは不可能です。まさに、絶望的な兵器であると言えるでしょう。

私たちは、第一次世界大戦と第二次世界大戦という戦争と暴力の時代を歴史として持っているにもかかわらず、今もなお戦争を続けています。その被害は大人だけにかぎらず、未来を生きるはずの子どもたちにも及んでいるのです。

どんな美辞麗句を用いようとも、生命を犠牲に国家の未来を展望するのは愚の骨頂です。現実はそんなに甘くないという人たちもいるかもしれませんが、自分や大切な人の命が戦争によって奪われるような事態を招いた時点で政治の敗北であり、人類の敗北です。

幸いにも、日本は唯一の被爆国であり、それ以降で核兵器が使用された歴史はありません。

しかし、未だに核兵器は抑止論という前提のもとに地球上に存在しています。私たちが再び戦争の惨禍に命を脅かされる時代にならないように、まずは原子力爆弾の脅威について学ぶことはその一歩であると言えるでしょう。

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この記事を書いた人

DEEP JAPAN QUEST編集部は日本文化に関する総合情報メディアを運営するスペシャリスト集団です。DEEP JAPAN QUEST編集部は、リサーチャー・ライター・構成担当・編集担当・グロースハッカーから成り立っています。当サイトでは、日本文化全般に関わる記事を担当しています。

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