昭和天皇の崩御から35年以上が経過し、現在では「令和」の時代になりました。しかし、インターネット上では今なお「昭和天皇はミイラになっている」「冷凍保存されている」といった噂が語り継がれています。これらの都市伝説は実際にどこから生まれたのでしょうか。本記事では、昭和天皇の崩御の経緯から葬儀の実態、そして様々な噂の真相について、歴史的事実に基づいて徹底考察します。
昭和天皇はどのように亡くなったのか?
昭和天皇は1901年(明治34年)4月29日に生まれ、1926年(大正15年)12月25日に即位しました。第二次世界大戦を含む激動の時代を「天皇」として生き抜いた昭和天皇は、戦後は日本国憲法下での「象徴天皇」として、両方の立場を経験した唯一の天皇です。
崩御前の健康問題は1988年(昭和63年)9月に始まりました。同年9月18日、大相撲9月場所を観戦予定でしたが、高熱のため急遽中止になります。翌9月19日には大量吐血により救急車が出動する事態となりました。その後も上部消化管からの出血や胆道系炎症、閉塞性黄疸、尿毒症などを併発し、体調は一進一退を繰り返していました1。
そして1989年(昭和64年)1月7日午前6時33分、昭和天皇は皇居吹上御所において87歳で崩御されました。死因は「十二指腸乳頭周囲腫瘍(腺癌)」と発表されています1。崩御を看取ったのは侍医団と皇太子夫妻、常陸宮夫妻、竹下首相でした。午前7時55分、藤森昭一宮内庁長官と小渕恵三内閣官房長官が会見を行い、崩御を公表しました。
崩御の直前、テレビ各局は緊急テロップで「体温20℃、脈拍32、血圧40~50、呼吸数2」という驚くべき数値を報道しました。これは医学的に見れば生存が困難な状態であり、この異常な数値の報道が後の「冷凍保存」説に繋がる一因となったと考えられます。
昭和天皇がミイラになっているのは本当?
「昭和天皇はミイラになった」という都市伝説は、なぜ生まれたのでしょうか。その原因の一つは、埋葬までの期間の長さにあります。崩御から大喪の礼までには48日間という長い時間がありました。
日本の歴史には「即身仏(そくしんぶつ)」という伝統があり、弘法大師(空海)は高野山の地下密室で断食して即身成仏したと伝えられています。真言宗の僧侶の中には、山中で断食しミイラとなった例も少なくありません。このような文化的背景も、天皇とミイラを結びつける土壌となったと考えられます。
しかし、実際の埋葬過程を見ると、昭和天皇がミイラ化されたという説は成り立ちません。皇族が遺体に最後の別れを告げる「拝訣の儀」の後、遺体は棺に納められます。棺には内棺と外棺の2種類があり、「斂棺の儀」で銅製の外棺に内棺を納めると完全に密封され、以後二度と開けられることはありません。
つまり、結果的に時間の経過とともに遺体が自然乾燥してミイラ状になっている可能性はあるものの、意図的にミイラ化するための処置(防腐処理など)が施されたわけではないため、厳密には「ミイラ」とは言えないのです。
昭和天皇が冷凍保存されている噂はデマ?
昭和天皇が「冷凍保存されている」という噂も存在します。この説の背景には、前述した崩御直前の「体温20℃」という報道が関係していると思われます。また、Yahoo!知恵袋の質問には「納棺する際に遺体が傷まないように血液とリンパ液を抜き臓器も取って、鉄の柩の中は真空になっている」という噂も記載されています。
他にも「やりすぎ都市伝説」という番組で「冷凍保存により蘇る新たな人間のカタチ」というテーマが取り上げられたことも、こうした噂を助長した可能性があります。また、ある都市伝説によれば「牛を生きたまま冷凍し、解凍したら生き返るか?」と肉屋で尋ねる老人の話も存在します。
しかし、これらの噂には科学的根拠がありません。人体の冷凍保存技術は現在でも研究段階であり、1989年当時にそのような技術が実用化されていたとは考えられません。また、昭和天皇の遺体は前述のように棺に納められ密封されているため、冷凍保存は物理的に不可能です。
葬送の真相
昭和天皇崩御から48日後の1989年(平成元年)2月24日、「大喪の礼」が執り行われました。これには世界各国から国家元首・使節・大使など164か国・27機関の約700人が参列する国際的な儀式となりました。昭和天皇の霊柩を乗せた轜車が皇居から新宿御苑へ向かう葬列の沿道には、約20万人もの人々が見送りに集まり、「一時代の終わり」を象徴する厳粛な光景となりました。
埋葬方法は土葬です。これは日本の皇室において江戸時代初期から続く伝統でした。棺は完全に密封されるため、火葬はできない構造になっていました。埋葬地は東京の八王子にある武蔵野陵で、愛用の品約100点が副葬品として納められたとされています。
注目すべきは、現在の天皇皇后両陛下が、将来的に約400年ぶりに「火葬」を選択されたことです。宮内庁は2022年、両陛下の意向として、火葬への変更と陵墓の縮小を発表しました49。
この決断の背景には、現代社会では火葬が一般的であることや、陵墓用地の節約という実用的な考えがあります。天皇陛下は昭和天皇と香淳皇后の御陵を見て「用地に余裕がなくなっているのではないか」との懸念を示されていたといいます4。
また、両陛下は当初「合葬」も検討されていましたが、皇后さまが「畏れ多い」と遠慮されたため、同じ敷地に寄り添う形で別々の御陵を造ることになったという興味深いエピソードもあります4。
ただの噂にすぎない
昭和天皇は1989年1月7日に崩御し、2月24日の大喪の礼を経て、武蔵野陵に土葬されました。「ミイラ化」や「冷凍保存」といった噂は、崩御から埋葬までの期間の長さや、体温低下に関する異常な報道、日本の伝統的なミイラ信仰などが複合的に作用して生まれたものと考えられます。
実際には、昭和天皇の遺体は伝統的な方法で棺に納められ、密封された状態で土葬されました。意図的なミイラ化処置は行われておらず、冷凍保存も科学的・物理的に不可能です。
現在の天皇皇后両陛下が400年ぶりに火葬を選択されたことは、皇室の葬送儀礼の大きな転換点となります。この変化は、現代社会の実情に合わせた合理的判断であると同時に、皇室の伝統と革新のバランスを示す象徴的な出来事と言えるでしょう。
偉大な指導者や象徴的存在の死については、しばしば様々な噂や都市伝説が生まれます。これは人々の敬愛や関心の表れであると同時に、死という普遍的な謎への向き合い方でもあるのかもしれません。正確な歴史的事実を知ることで、昭和天皇の遺徳を偲び、日本の皇室の歴史と伝統への理解を深めることができるでしょう。