「渡辺」という苗字は国内で100万人以上いると言われています。みなさんのなかにも、学校や職場の友人に「渡辺」という方がいる人たちもいるはずです。実際のところ、「渡辺」という苗字を冠する一族は、どのような家紋を使っていたのでしょうか?
この記事では、渡辺が使っていた家紋の種類一覧を紹介しています。その意味や毛利との関係、そして渡辺の家紋を使用していた武将にも言及しているので、興味のある人たちは参考にしてみてください。
渡辺が使っていた家紋の種類一覧
さて、渡辺という姓の一族は、どのような家紋を使っていたのでしょうか?
結論から言えば、渡辺は「三つ星に一の字」を家紋として使っていました。別名では「渡辺星」とも言われています。三つ星に一の字は、筆で書いたような「一の字」の上に「丸が三つ」描かれています。星は丸の形で表現されています。具体的には、次に挙げる3種類の意匠があります。
渡辺が使っていた家紋の種類一覧
三つ星に一の字
陰三つ星に一の字
丸に三つ星に一の字
渡辺が使っていた「三つ星に一の字」の意味
それでは、渡辺の一族が使っていた「三つ星に一の字」には、どのような意味が込められているのでしょうか?
まず、「三つ星」は中国で「将軍星」と呼ばれており、中心となる大将軍と、それに呼応する左将軍と右将軍を表しています。そして、「一の字」は「勝つ」と読むことができるため、「戦に勝利する」という意味を持っていました。
すなわち、「三つ星に一の字」には、「3人の有能な将軍が揃って団結すれば戦いに勝てる」という意味があると考えられるわけです。武人にとって戦で勝つことほど重要なことはありませんから、縁起の良い家紋を用いることは彼らにとって願がけだったのでしょう。
毛利家との関係は深いのか?
なお、毛利家の家紋は、「一文字に三つ星」です。その意匠は「三つ星に一の字」を上下入れ替えたデザインであることから渡辺の一族との関係が深いことが想起されます。実際のところ、どうなのでしょう?
結論から言えば、鎌倉時代から渡辺家は毛利家と主従関係にあったことから関係が深いのは事実です。家紋が似ているのも決して偶然ではないと考えられます。毛利元就が本家を相続した際に、渡辺家はその座を巡って戦争を起こしました。決して仲の良い関係だったわけではないのです。
これに関しては、海士町の公式HPでも次のように記載されています。
渡辺家は源融を始祖とし武勇の誉れ高い家柄でした。鎌倉時代から毛利家と主従関係にありましたが、毛利元就が本家を相続した際に後継者争い(長見山の戦い)を起こし、戦いを生き延びた渡邉美作守亮が重臣を頼って隠岐島前に渡ったのです。屋号を中良と称し、崎渡辺家の初代となりました。崎に「味噌樽」と呼んで大量の軍資金を樽で荷揚げし、安永年間(1764年~1780年)には島前の大半を収める権力者となりました。
海士町公式HP「毛利元就と渡辺家」より引用(最終確認日:2024年5月12日)
家紋が似ているだけで何らかの歴史的に繋がりがあるのは面白いですよね。一族を象徴するものですから、そこには深い訳があって然るべきなのです。
渡辺の家紋を使っていた武将一覧
当然ながら、三つ星に一の字が「渡辺星」とも呼ばれるように、この家紋を使っていた武将は渡辺家に属する者たちであると言ってよいでしょう。具体的に、渡辺家の武将は次のような人物が挙げられます。
渡辺の家紋を使っていた武将
- 渡辺 綱
- 渡辺 守綱
- 渡辺 勝
当メディアの調べでは、渡辺家以外の武将が三つ星に一の字の家紋を使っていたという史料は見つかりませんでした。
家紋には意味や繋がりがある
家紋は一族を象徴するものです。そこには、必ず何らかの意味が込められています。また、使っている家紋から特定の人間関係が浮かび上がってくることもあります。あなたの先祖が使用している家紋を調べてみると、思わぬ発見があるかもしれません。これを機会に一度調べてみてください。
参考文献一覧
- 『決定版 知れば知るほど面白い!家紋と名字』綱本光悦 西東社
- 『面白いほどよくわかる 家紋のすべて 安達史人』日本文芸社
- 『家紋から日本の歴史をさぐる』インデックス編集部 ごま書房
- 『日本の家紋事典 由来と解説』大隈三好 金園社
- 『知識ゼロからの日本の家紋 入門』楠戸義昭 幻冬社
- 『豊田市』https://www.youtube.com/watch?v=z84aAfqP2WM
- 『山口県文書館』chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/https://archives.pref.yamaguchi.lg.jp/user_data/upload/File/archivesexhibition/AW14%20jouhoutokiroku/14.pdf
- 『海士町』http://www.town.ama.shimane.jp/kankoh/spot/post-34.html
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