日本国内で若者を中心に流行っている「16personalities」の性格診断で「INTJ(建築家)」に該当する人たちと関わっている際に「容赦ない」と感じたことがある人もいるかもしれません。とはいえ、自分が「INTJ」だった場合、他人にそこまで言われる理由について知りたいと感じることもありますよね。
この記事では、INTJが「容赦ない」と言われる理由について解説しています。また、「本質を見抜く力があるのは本当か?」という疑問にも言及しているので、INTJについて興味のある人たちは参考にしてみてください。
INTJが「容赦ない」と言われる理由
さて、INTJに該当する人たちが「容赦ない」と言われるのは、どうしてなのでしょうか?
その理由は大きく3つあると考えられます。
理由1 正しくありたいという気持ちが強い
第1に、INTJは他のタイプと比べて「正しくありたい」という気持ちが強いと考えられていることが要因であると推察されます。
「正しくありたい」という欲求は、日常生活における偽善や欺瞞に対する厳しさとして表現される可能性があります。例えば、Aさんが失恋で落ち込んでいる際に、INTJのBさんはAさんの感情に寄り添うよりも「前の恋人は内気なAの性格には合わなかった」とはっきり物を申すかもしれません。Aさんの悲しみを軽くすることよりも、自分の見解を先に述べるわけです。
メンタルの強い人ならともかく、傷ついて落ち込んでいる人に対して正論を振りかざすのは「容赦ない」と思われても仕方がありません。無論、自分なりに考えたことをはっきりと主張するのは重要なことですが、相手の気持ちを無視した正論は人を追い詰めることもあるので注意しましょう。
理由2 物事の追求を何よりも優先する
第2に、INTJは物事の追求を何よりも優先することから人間関係に囚われずに決断する傾向があると思われているため、「容赦ない」と評価されるのかもしれません。
何かを極めようと必死の人たちは中途半端な関係を切り捨てて前に進むことがあります。例えると、ゴールに必死で向かっている人は途中で倒れている人がいたとしても、走り続けるわけです。
無論、そのことに対して罪の意識を感じる人たちもいるかもしれません。しかし、あれもこれもやっていてはプロになることはできないという現実をちゃんと弁えているからこそ、厳しい決断にも耐えることができると考えられます。
他者からすると、「あまりにも厳しい」と評価されるかもしれませんが、それくらいの覚悟がなければ、トップに君臨することは不可能です。容赦ないとはいえ、「それだけ本気である」という意味では、真っ直ぐな人であるとも言えるのです。
理由3 完璧主義の傾向がある
第3に、INTJは完璧主義の傾向があると思われていることから「容赦ない」と言われることがあります。
完璧主義者は「できていること」よりも「できていないこと」に焦点が当たります。そして、ストイックに問題の隅々を解決していきますから、自分にも厳しく他人にも厳しくなりがちです。
なかには、他者の努力よりも結果を重視する成果主義的な人間もいるので、プロセスは容赦無く切り捨てられることもあるでしょう。必死に頑張っている人の立場からすれば、過程を見向きもされないことは非常に残酷かもしれません。
けれども、完璧主義だからこそ丁寧な仕事をするなど良い面もあります。「容赦ない」という言葉の裏側には物事を徹底するという真剣さもあるわけです。その意味では、必ずしもネガティブに解釈されるだけではありません。
けれども、INTJに分類されるからといって、必ずしも「容赦ない」性格であると断定することはできません。一定の傾向があったとしても、INTJの人々にも個性がありますから、みんなが同じ価値観を共有しているとは限らないのです。したがって、上記の理由は、あくまでも「イメージ」に対して「容赦ない」と評価される理由として考えられるものとして理解してください。
INTJには本質を見抜く力があるのは本当か?
なお、INTJに本質を見抜く力があるのは本当なのでしょうか?
結論から言えば、「16personalities」でINTJと診断されたからといって必ずしも物事の本質を見抜く素養に長けているとは言えません。そもそも質問に答えるだけで、人間の思考に関する特徴が明確にわかるわけがありません。
それに「本質を見抜く力」というのも非常に曖昧な能力です。
辞書的な意味において、本質とは「ある事物がそのものとして存在するために必要不可欠な性質」であると定義されます。しかし、ある事物を成り立たせる「本質」については、人によって見解が異なることも多く、特定の分野に対する理解度によって見抜ける時と見抜けない時があるのは言うまでもありません。
それにもかかわらず、「本質を見抜く力」という抽象的な表現にまとめて、その有無をを個人に認めようとするのは合理的であるとは言えないでしょう。すなわち、「INTJと本質を見抜く力に絶対的な関わりはない」が答えです。
無論、本質を見抜いた人がINTJに分類されることはあります。しかし、それは何らかの本質を見抜いた人がたまたまINTJだっただけにすぎないと考えられます。
また、「16personalities」はMBTIとして語られていますが、実は両者は全くの別物です。これに関しては、一般社団法人日本MBTI協会は以下のように述べています。
MBTIは他の性格検査とは異なります。MBTI(エムビーティーアイ:Myers-Briggs Type Indicator)は、個人をタイプに分類したり、性格を診断したりすることが目的ではありません。回答した個人一人ひとりが、自分の心を理解するための座標軸として用いることを最大の目的にしています。
一般社団法人日本MBTI協会『MBTIと似ている性格診断テストについて』より引用
タイプで人を評価するのは偏見になる
もちろん、「16personalities」が提供するINTJの解説について納得した人たちもいるかもしれません。けれども、それは偶然である可能性が極めて高いのです。つまり、容赦ないと周りから思われている人が「INTJ」だっただけで、INTJが全員、容赦ない性格とは言えないわけです。
日本では血液型診断をはじめ人間を型にはめて気質を評価する類の考え方が流行りがちです。実際、同じような議論がMBTI(16personalities)というフレームに変わっただけで繰り返されています。
だれしもが「自分や他者を正しく理解したい」と願うのは理解できますが、相手とのコミュニケーションなしに人格を理解することはできません。一定の理解を助けるのに心理学的なテストは役に立つかもしれませんが、それを絶対視すると周りの人との関係性が悪くなるおそれもあるので注意してくださいね。
コメント