片喰(カタバミ)の家紋は徳川家が政権を握った時代に普及したと言われています。植物をモチーフとする意匠のなかでは、桐に次いで流行したようです。実際のところ、カタバミの家紋には、どのようなものがあるのでしょうか?
この記事では、カタバミの家紋について解説しています。家紋の種類や使用地域、カタバミを掲げていた戦国武将の一覧も紹介しているので、家紋について知りたい人たちは参考にしてみてください。
片喰(カタバミ)の家紋とは?
片喰(カタバミ)とは、ハート型の葉を持つ多年草で日本中どこにでもある雑草です。噛むと酸っぱい味がすることから、「酢漿草」と表記される場合もあります。夜に葉を閉じた姿が葉が食いちぎられたように見えることから「片喰」という漢字があてがわれました。
カタバミは野原や道端に自生する繁殖力の強さから子孫繁栄を意味するため、大名や公家に好まれました。その結果、代表的な家紋のひとつとなったのです。平安・鎌倉時代には、車紋として採用されており、源氏の流れを組む武士たちが使用したと言われています。
片喰(カタバミ)の家紋の種類
さて、カタバミの家紋には、具体的にどのような種類があるのでしょうか?
ここでは、代表的なカタバミの家紋を以下の表にまとめています。
片喰 | 剣片喰 | 丸に七つ片喰 | 片喰枝菱 |
かたばみ | (けんかたばみ) | まるにななつかたばみ | かたばみえびし |
一般的に、カタバミとは三つ葉のことを指しますが、一葉や二葉、四葉の家紋も存在します。2つ以上のカタバミを組み合わせたものや、剣や蔓(つる)を組み入れたデザインもあります。ほとんどの家紋が葉だけの意匠になっているのですが、まれに花あるいは実がついたものもあります。
原型がシンプルでバランスが取れていることから変化を付けやすいのでしょう。
片喰(カタバミ)の使用地域
なお、カタバミの家紋は、具体的にどの地域で使用されていたのでしょうか?
結論から言えば、カタバミは山陰や北陸地方でよく使用されていたと言われています。いわゆる、大阪、兵庫、京都、滋賀が主な地域だったわけです。おそらく、平安京や平城京などで活動していた公家が近辺に在住していたことが背景にあると推察されます。
なお、家紋は元々、「公家」「武家」「社家」「寺家」などの特権層に特有の慣習・文化でしたが、江戸時代になると庶民階級にもその普及が始まります。これは、江戸幕府の厳格な身分制度により、苗字を使えなくなったこともあり、「識別」として紋が使われるようになりました。これもまたカタバミがよく使われるようになった背景のひとつと言えるでしょう。
片喰(カタバミ)の家紋を使っていた戦国武将一覧
それでは、実際にカタバミの家紋を使っていた戦国武将には、どのような人たちがいたのでしょうか?
カタバミの家紋を使用していた代表的な戦国武将は以下のとおりです。
片喰(カタバミ)の家紋を使っていた戦国武将一覧
- 長宗我部元親
- 酒井忠次
- 藤堂高虎
- 成瀬正成
- 大炊御門(公家)
- 冷泉(公家)
カタバミは繁殖力があって、踏まれてもくじけない強さが子孫繁栄に通じるとして、江戸時代には数多くの一族が使用していたと言われています。
戦国時代は文字通り、勢力争いを基本とする血生臭い戦が全国各地で起きていました。有名な武将といえども、勝つばかりではなかったのは言うまでもありません。だからこそ、負けても立ち上がる不屈さを大切にしている人たちも多かったのでしょう。
カタバミはそんな武将たちの想いを反映する家紋として愛されていたのです。
雑草の力強い生命力を表現している
カタバミは雑草です。いわば、そこら辺に生息しています。しかし、それこそがまさに繁栄の証であると言えるでしょう。戦国時代は勝って生き残ることが重要でした。その意味では、カタバミほど適した家紋もなかったのでしょう。
さらに、デザインがシンプルでありながらも優雅であるという点も好まれた理由だったと考えられます。暴力という野蛮さだけではなく、意匠にもこだわる美学があったことは当時を生きた人たちの感性が豊かであったことを示しています。
家紋という視点から歴史的人物の価値観を考察するのも面白いかもしれませんよ。
参考文献一覧
- 『決定版 知れば知るほど面白い!家紋と名字』綱本光悦 西東社
- 『面白いほどよくわかる 家紋のすべて 安達史人』日本文芸社
- 『家紋から日本の歴史をさぐる』インデックス編集部 ごま書房
- 『日本の家紋事典 由来と解説』大隈三好 金園社
- 『知識ゼロからの日本の家紋 入門』楠戸義昭 幻冬社
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