日本の歴史と文化において神秘的な存在として知られる陰陽師。平安時代の安倍晴明をはじめとする陰陽師たちは、占術や天文学を用いて天皇や貴族に仕え、社会の安定を支えてきました。現代では映画やアニメなどのポップカルチャーでも頻繁に取り上げられる人気のテーマとなっていますが、実際に陰陽師になるための方法や、なぜ「存在してはいけない」と言われるのか、そして現代の日本に何人の陰陽師がいるのかについては、あまり知られていません。この記事では、陰陽師の歴史的背景から現代における実態まで詳しく解説していきます。
陰陽師になるにはどうすればいい?
結論から言うと、現代において「公式な」陰陽師になることは不可能です。なぜなら、陰陽師は古代日本の律令制度下において国の機関である「陰陽寮」に所属する官職だったからです。陰陽寮は明治2年(1870年)に廃止され、それに伴い国から認可を受けた公式な陰陽師も存在しなくなりました。
しかし、現代でも陰陽道の知識や技術を習得し、「民間の陰陽師」として活動することは可能です。では、陰陽道の技術や知識を身につけるためには、どのような学びが必要なのでしょうか。
陰陽道の知識と技術を習得するためには、主に以下のような学びが必要とされています。
- 神道または道教の知識の習得:陰陽道の根底には、中国から伝わった道教の思想と日本古来の神道が融合した独自の世界観があります1。これらの基本的な知識を学ぶことが第一歩となります。
- 風水や陰陽五行の学習:陰陽五行説は、万物が陰と陽、そして「木・火・土・金・水」の五つの要素から成り立つとする考え方です2。この理論は占いの基礎となり、空間の気の流れを読み解く風水にも応用されます。
- 書道の修練:護符や霊符を書くためには、正確で力強い筆遣いが必要です1。単なる美しい文字を書くだけでなく、文字に霊力を込める技術を身につける必要があります。
- 護符や霊符の知識:陰陽師は様々な目的に応じた護符や霊符を作成しました1。それぞれの符に込められた意味や効果、適切な使用方法を理解することが重要です。
現代では、陰陽道を学ぶための公式な教育機関はありませんが、いくつかの方法で知識を得ることが可能です。
- 家系の調査:伝統的に、陰陽師の知識は家系内で継承されてきました。自分の先祖に陰陽師や関連する職業の人がいれば、その系譜を調べることで貴重な情報を得られる可能性があります。
- いざなぎ流陰陽道の学習:高知県に伝わるいざなぎ流は、陰陽道と民間信仰が融合した独自の伝統です。この流派を学ぶことで、陰陽道の実践的な知識を得ることができます。
- 現代の資格取得:「陰陽五行士」という現代の資格も存在します。日本メディカル心理セラピー協会が発行するこの資格は、陰陽五行説と四柱推命の基礎知識を証明するものです。受験料は10,000円で、在宅での受験が可能です。また、協会認定のスクールでは特別講座を受講することで、試験免除で資格を取得することもできます。

これらの学びや資格は、歴史的な「陰陽師」になるための公式な道ではなく、あくまで陰陽道の知識や技術を現代的に解釈し学ぶための手段であることを理解しておく必要があります。
陰陽師が存在してはいけないと言われる理由
陰陽師が「存在してはいけない」と言われる背景には、歴史的・文化的・宗教的な複数の要因が絡み合っています。
歴史的背景:国家機密としての陰陽道
平安時代、陰陽道は閉鎖的な学問とされていました。一般の人々が天文学・陰陽道・暦・時間計測法・占術などを学ぶことは禁止され、陰陽寮に保管されている書物の外部への持ち出しも厳しく制限されていました。
なぜこれほど厳しい規制があったのでしょうか。それは、これらの知識が国家の存続に関わる重要な情報だったからです。天文観測や暦の作成は、農業生産や国家行事の計画に不可欠でした。また、占いの結果は政治的決断に大きな影響を与えました。こうした知識が悪用されれば、社会不安を引き起こす可能性があったのです。
例えば、長期の日照りや干ばつが予測される場合、その情報が一般に広まれば食料備蓄の買い占めや暴動につながる恐れがありました。また、天皇や重要人物の死期を予言するような占いは、政治的混乱を招く可能性がありました。
宗教的・文化的タブー:霊的力の取り扱い
陰陽師の持つ「呪術」に関する知識も、存在を制限すべき理由とされました。本物の呪文や儀式の詳細は、誤った使用や悪用を防ぐため、秘匿されるべきものと考えられていました。
現代のエンターテイメント作品でも、本物の呪術や陰陽道の儀式を正確に描くことはタブーとされることがあります。例えば、映画「陰陽師0」の制作において、加門七海氏は「本当の本物を出さない」ことに気を配ったと語っています。仏教系と神道系の呪文は排除し、陰陽道の文献に残っているものや道教系のものを限定的に使用したといいます。
これは単なる迷信ではなく、古来より伝わる霊的な力に対する敬意と畏怖の念の表れでもあります。本物の呪術が持つとされる力は、軽々しく扱うべきではないという考え方が根底にあるのです。
明治政府による禁止:近代化と迷信の排除
明治時代、新政府は西洋の科学技術を取り入れた近代化を急速に進めていました。その過程で、陰陽道は「迷信」として排除の対象となりました。
明治3年(1870年)、陰陽寮は廃止され、その職掌であった天文・暦算は大学校天文暦道局や海軍水路局、文部省天文局、天文台に移管されました8。同年閏10月17日には「天社禁止令」が発せられ、陰陽道は迷信であるとして民間に対してもその流布が禁止されたのです8。
何世紀にもわたって続いてきた天皇即位の際の陰陽道の儀礼「天曹地府祭」も、明治天皇の即位時には行われませんでした8。これは、新しい時代における旧来の知識体系の排除を象徴する出来事でした。
陰陽師は日本に何人いるのか?
公式な陰陽師が存在しない現代において、「陰陽師」を名乗る人々は一体どれくらいいるのでしょうか。
現在の日本には、陰陽師を名乗る人が約40〜50人いるとされています。これらの人々は「民間の陰陽師」として活動しており、その多くは陰陽道の知識を現代社会に適用した形でサービスを提供しています。
ただし、本物の実力を持つ陰陽師は表に出てこないことが多いとも言われています。陰陽道の真の継承者たちは、公に活動するよりも、ひっそりと自らの知識を守り続けているのかもしれません。
現代の主な陰陽師
現代の陰陽師として知られている人物には、以下のような方々がいます。
- 胸形千尋氏:石田流陰陽道開祖と名乗り活動されていましたが、すでに亡くなっています。
- 橋本京明氏:「ラスト陰陽師」と名乗っており、公式サイトで活動を発信しています。
- 橘宗輝氏:橘流陰陽道総本部の宗家として活動しています。
- 橋本慧氏:「現代の陰陽師」として知られ、独自のウェブサイトで情報を発信しています。
- 安倍成道氏:安倍晴明の血筋だと言われており、陰陽師として活動しているとされています。
- 園山真希絵氏:自身を「食陰陽師」と称し、独自の活動を展開しています。
これらの方々は、占いやスピリチュアルカウンセリング、風水コンサルティングなど、現代のニーズに合わせた形で陰陽道の知識を提供しています。
陰陽師と法師陰陽師の違い
歴史的には、正式な陰陽寮所属の陰陽師の他に、「陰陽法師」または「法師陰陽師」と呼ばれる集団も存在していました。これらは僧侶でありながら陰陽師の仕事をしていた人々で、『今昔物語集』には「陰陽師を為る法師」として複数登場しています。
法師陰陽師たちは、陰陽寮とは無関係な民間や地方に在住し、紙の冠を被って河原で祓えをする姿が文献に記されています。彼らは晴明クラスの上級陰陽師を雇うことができない中下級の貴族たちに雇われ、祓えをしてもらっていたことが研究によって明らかになっています。
興味深いことに、紫式部や清少納言などの貴族女性たちには、こうした法師陰陽師の姿が嫌悪や軽蔑の対象だったようです。これは、法師陰陽師たちが裏では「呪詛」を請け負うことも多かったためと考えられています。
日本に実在した陰陽師一覧
日本の歴史には、多くの著名な陰陽師が記録されています。彼らの活動は、日本の文化や社会に大きな影響を与えました。ここでは、歴史上実在したことが文献で確認できる主な陰陽師をご紹介します。
古代からの陰陽師の系譜
- 恵慈(えじ):595年(推古天皇3年)に高句麗から来日し、聖徳太子の仏法の師となりました3。陰陽道の基礎知識も日本に伝えたとされています。
- 僧旻(そうみん):遣隋使・小野妹子に従って隋に渡り、陰陽五行思想や仏教を学びました3。彼は流星を天狗の吠え声と解釈し、彗星の出現が飢饉の前兆だと予言したことでも知られています。
- 吉備真備(きびのまきび):遣唐使として唐に渡り、陰陽五行思想を深く学んだ学者です3。聖武天皇の下で、それまでの「呪禁師」を廃止し、より体系的な「陰陽道」を導入する改革を行いました。
- 津守通(つもりのとおる):草壁皇子に重用された、渡来人系の陰陽師です3。
- 藤原刷雄(ふじわらのよしお):遣唐使の藤原清河に留学生として同行し、陰陽五行思想を学びました3。
平安時代の著名な陰陽師
- 滋岳川人(しげおかのかわひと):平安時代前期から中期にかけて活躍した陰陽師です3。「今昔物語集」には、彼が呪術を用いて地神の追跡から逃れたという逸話が残されています。
- 安倍晴明(あべのせいめい):最も有名な陰陽師で、多くの文献に記録が残されています39。遣唐使として唐に渡り陰陽道を学び、帰国後に独自の陰陽道を発展させました。式神を操る能力に優れ、数々の神秘的な逸話が残されています。
- 蘆屋道満(あしやどうまん):安倍晴明のライバルとして知られる陰陽師です3。晴明とは異なり、陰陽寮に所属しない「フリーランス」の陰陽師でした。晴明に劣らない呪術力を持っていたとされています。
近世・近代の陰陽師
- 土御門晴雄(つちみかど はるお):安倍晴明の末裔である土御門家の当主で、1842年に陰陽頭に就任しました3。江戸幕府崩壊後は新政府に働きかけ、陰陽寮の権限拡大に尽力しましたが、彼の死後、陰陽寮は解体されてしまいました。
- 土御門晴榮(つちみかど はれなが):土御門晴雄の養子で、土御門家の家督を継いだ人物です3。彼の時代に陰陽寮は廃止され、江戸幕府から与えられていた土御門家の特権は次々と剥奪されました。陰陽師が最も不遇を迎えた時代の当主として知られています。
これらの陰陽師たちは、単なる占い師や呪術師ではなく、当時の最先端の科学知識と霊的な技術を併せ持つ専門家でした。彼らの活動は、日本の文化や社会制度の発展に大きく貢献したのです。
まとめ:時代とともに消えた
陰陽師は、古代から近世にかけて日本社会で重要な役割を果たしてきましたが、明治時代の近代化政策によって公式には消滅しました。その歴史的変遷と現代への影響について、まとめてみましょう。
陰陽師の終焉は、日本の近代化の過程と密接に関連しています。平安時代中期以降、律令体制が緩むと、正式な陰陽寮所属の官人ではない「ヤミ陰陽師」が私的に貴族らと結びつき、彼らの吉凶を占ったり災害を祓うための祭祓を密かに執り行うようになりました。場合によっては敵対者の呪殺まで請け負うような風習が横行し、陰陽寮の「正式な陰陽師」においてもこの風潮に流される者が続出しました。
その後、豊臣秀吉の時代に陰陽師大量弾圧が行われ、陰陽寮は実質的に機能停止状態に陥りました。さらに明治3年(1870年)、陰陽寮は正式に廃止され、その職掌は大学校天文暦道局や海軍水路局、文部省天文局、天文台といった新しい機関に移管されました。
最後の陰陽頭であった土御門晴栄は、一時的に大学星学局御用掛に任じられましたが、同年末にはこの職を解かれました。こうして天文道・陰陽道・暦道は完全に土御門家の手から離れ、何世紀にもわたって続いてきた伝統が途絶えたのです。