陰陽師家系の苗字一覧|現代でも実在しているのか?

陰陽師家系の苗字一覧|現代でも実在しているのか?
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陰陽道の知識を持ち、占いや祭祀を行う古代日本の特殊な職業集団である陰陽師。安倍晴明を筆頭に、日本の文化や歴史において重要な存在として知られています。しかし、明治維新後に公的な陰陽師という職業は廃止され、現代においてはその存在感は薄れています。

本記事では、陰陽師の概要から主要な家系の苗字まで詳しく解説し、現代における陰陽師の実在性や、なぜ「陰陽師」を名乗ることが難しいのかについても探っていきます。陰陽師の歴史と現代での位置づけを理解することで、日本の伝統文化への理解を深める一助となれば幸いです。

目次

陰陽師の概要

陰陽師(おんみょうじ、おんようじ)は、古代日本の律令制下において中務省の陰陽寮に属した官職の一つです。7世紀後半頃から制度化され、明治3年(1870年)まで約1200年にわたって存在した、れっきとした国家公務員でした。

陰陽師の役割は多岐にわたりますが、主に天文観測に基づく占星術の行使、暦の作成、気象予測、地相判断などを担当していました。これらの業務は当時の社会生活において非常に重要なものであり、陰陽師は高度な知識と技術を持つ専門家として朝廷や貴族から頼りにされていました。

陰陽道という学問体系に基づいて活動していた陰陽師は、中国から伝来した陰陽五行思想を基礎としながらも、仏教や道教、日本固有の神道や修験道の要素を融合させた日本独自の発展を遂げました。特に平安時代には、その知識と技術が頂点に達し、当時の社会において最先端の知識人集団として重要な役割を担っていました。

一般的に陰陽師と聞くと、小説や映画などの影響から「怨霊を鎮める」といった霊的な仕事を行う者というイメージが強いかもしれません。しかし、厳密には霊的な儀式や呪術は「呪禁師」と呼ばれる別の役職が担当していたとされています。ただし時代が下るにつれて、陰陽師がその職分を取り込み、霊的な問題にも対応するようになったという経緯があります。

陰陽師家系の苗字一覧

陰陽道の世界では、主に「安賀両家」と呼ばれる二つの家系が中心的存在でした。これは安倍氏系と賀茂氏系を指し、それぞれが独自の学統を築き上げていました。

安倍氏・土御門家

最も有名な陰陽師家系は、言うまでもなく安倍晴明を祖とする安倍氏です。安倍晴明(921年〜1005年)は平安時代中期から後期にかけて活躍した伝説的な陰陽師で、その卓越した技能と数々の逸話によって、後世にまで名を残しています。

安倍氏は代々陰陽道、特に天文道を家学として継承してきました。室町時代になると、安倍氏の嫡流は「土御門」を家名として名乗るようになります。一般的には安倍有世(14代目)を土御門家の初代とする説がありますが、実際に土御門の家名を名乗り始めたのは、室町時代中期から戦国時代にかけての当主・土御門有宣(安倍有世のひ孫)からだとされています。

土御門家は明治維新後も華族として存続しましたが、安倍晴明からの男系血統は戦国時代頃の土御門泰栄の代で途絶えており、以降は養子相続を繰り返すことになりました。現在残る土御門家の末裔は、最後の男性当主である土御門範忠(1920年〜1994年)の娘、土御門善子(1959年〜)が一人のみとなっています。血脈上は安倍晴明から34代目、土御門有宣から18代目に当たります。

賀茂氏・勘解由小路家

もう一つの主要な陰陽師家系が賀茂氏です。平安時代中期に陰陽寮の長官(陰陽頭)を務め、安倍晴明の師匠としても知られる賀茂忠行とその息子賀茂保憲を祖としています。賀茂保憲は息子の賀茂光栄に暦道を、弟子の安倍晴明に天文道を伝授したことで、陰陽道における二大学統が確立されました。

賀茂氏は山城国の賀茂神社付近を本貫とする賀茂県主氏ではなく、大和国(現在の奈良県御所市)の高鴨神社・鴨都波神社付近を本貫とする賀茂朝臣氏です。代々暦道を家学として担い、室町時代になると嫡流が「勘解由小路」を家名として名乗るようになりましたが、戦国時代から江戸時代初期にかけて断絶してしまいました。

ただし、賀茂氏の庶流である幸徳井家は江戸時代も地下家として存続し、江戸時代初期には陰陽頭を務めていました。しかし、幸徳井友傳の死後、安倍氏系の土御門泰福に陰陽道宗家の地位を奪われ、以降は陰陽寮の次官にあたる陰陽助を務めるにとどまりました。明治以降、幸徳井家も消息不明となっています。

その他の陰陽道関連家系

主要な陰陽師家系以外にも、各地方には独自の陰陽道を継承する家系が存在しました。例えば、高知県香美市(旧物部村)には「いざなぎ流」と呼ばれる陰陽道の流派が残っており、地域独自の陰陽師の伝統が細々と継承されています。

また、江戸時代に入ると、官僚としての陰陽師とは別に、全国で多くの民間陰陽師が活動するようになりました。これらの民間陰陽師たちは、それぞれの地域の民衆信仰や民俗儀礼と融合しながら独自の変遷を遂げていきました。

陰陽師は現代でも実在しているのか?

現代において公的な意味での陰陽師は存在しません。明治3年(1870年)、明治新政府は「天社禁止令」を発布し、陰陽道を迷信として正式に廃止しました。これにより、陰陽師という役職は公的な存在性を完全に失いました。

かつては国家資格のように、国から特権を与えられた土御門家が発行する免状を取得した者だけが正式な陰陽師として認められていました。しかし、その免状を発行する公式機関(陰陽寮)がなくなった現代においては、医師免許がなければ医者を名乗れないのと同様に、正式な意味で「陰陽師」を名乗ることはできなくなったのです。

ただし、現代においても「陰陽師」を自称する人々は存在します。例えば、YouTubeなどのメディアで話題となっている橋本京明さんは「現代の陰陽師」として活動しています。彼は陰陽師だった祖父の血を引き、幼い頃から霊感が強かったという経歴を持ち、占いや除霊を行っています。

また、宗家ではないものの、安倍晴明の血を引く27代目だという安倍成道という方が現代でも陰陽師として活動しているという情報もあります。

さらに、陰陽道の要素を色濃く残す宗教団体として、福井県西部のおおい町に「天社土御門神道本庁」が存在しています。これは土御門家の旧領であった若狭国名田庄にあたる地域に存続する団体ですが、平安時代の陰陽道とはかなり異なる内容となっています。戦後に再興されましたが、土御門家の現当主は一切関与していない状況です。

陰陽師であることを名乗ってはいけないのか?

「陰陽師」を名乗ることが法律的に禁止されているわけではありません。しかし、公的な意味での陰陽師は明治時代に廃止されたため、現代において本来の意味で陰陽師を名乗ることは歴史的に正確ではないという見方があります。

医師や弁護士など、国家資格が必要な職業と違い、「陰陽師」という肩書きを使用することに対する法的な罰則は特にありません。しかし、そのような肩書きを用いて詐欺的な行為を行った場合は、詐欺罪などの別の法律で罰せられる可能性があります。

また、歴史的・文化的な観点から見ると、陰陽師という存在は日本文化において重要な位置を占めてきたため、その名を安易に名乗ることに対して倫理的な問題を感じる人もいます。

現代において陰陽道の要素を取り入れた活動をする場合、「陰陽道研究家」「陰陽術実践者」など、より限定的で具体的な表現を用いることで、歴史的な陰陽師との混同を避ける工夫をしている人々もいます。これは歴史的な用語の尊重と同時に、現代における適切な表現方法を模索する試みと言えるでしょう。

橋本京明さんのように「現代の陰陽師」と称する場合も、自身のバックグラウンドや活動内容を明確に示し、単なる自称ではなく一定の根拠を持って名乗っているケースが多いようです。

まとめ:陰陽師が衰退した背景

陰陽師が衰退した背景には、いくつかの重要な歴史的要因があります。

まず、江戸時代後期から明治時代にかけて、西洋の科学技術や思想が急速に日本に流入しました。天文学や気象学、医学などの領域で西洋科学が導入されるにつれ、陰陽道の持つ科学的側面は近代科学に取って代わられていきました。

また、明治政府は近代国家建設の過程で、伝統的な宗教や信仰体系の再編を行いました。神道を国家神道として整備する一方で、陰陽道のような古来の呪術的要素を含む信仰体系は「迷信」として排除する政策を取ったのです。1870年の「天社禁止令」はその典型的な例であり、これにより陰陽道は公的に禁止されました。

さらに、律令制度の崩壊とともに、陰陽寮という国家機関も解体され、陰陽師という官職の存在基盤そのものが失われました。国家公務員としての陰陽師の地位が失われると、その権威も急速に衰えていったのでした。

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