陰陽師とは何か?気になる正体と役割を簡単に解説

陰陽師とは何か?気になる正体と役割を簡単に解説
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陰陽師は日本の古代から近世にかけて活躍した特殊な職業であり、その神秘的な印象から現代の小説、映画、漫画などの作品にも多く登場し続けています。2024年のNHK大河ドラマ『光る君へ』にも平安時代に活躍した陰陽師・安倍晴明が登場し、また山崎賢人主演の映画『陰陽師0』が2024年4月に公開されるなど、再び注目を集めています。この記事では、陰陽師の起源から役割、有名な歴史上の人物、そして彼らが姿を消した理由に至るまで、最新の研究成果を踏まえて詳しく解説します。

目次

陰陽師とは何か?

陰陽師とは、古代日本の律令制下において中務省の陰陽寮に属した官職の一つです。陰陽五行思想に基づいた陰陽道によって占術や祈祷、暦の作成などを職掌とした技術系の官人でした。その起源は古代中国から伝わった陰陽五行説や道教などの知識体系にあります。

8世紀、日本に律令国家が成立すると、中国にならって「陰陽寮」という役所が設置されました。当初、陰陽師はこの陰陽寮のいち官職に過ぎず、道教の術法によって病気治しや予防を行う呪禁師(じゅごんし)は別に置かれていました。しかし、8世紀になると呪禁師は陰陽師と統合され、陰陽師が占いだけでなく呪術や祭祀も担うようになり、暦を司る職務とも合流していきました。

平安時代になると、陰陽師は貴族社会にとって不可欠な存在となりました。彼らは貴族の日常生活における方角や時間の吉凶を占い、災厄を避けるための助言を行いました。特に平安京は人口が多く疫病が流行しやすかったため、疫病を引き起こすとされる疫鬼を追放する役割も担っていました。

平安後期には、陰陽道は賀茂氏と安倍氏という二大派閥が掌握するようになります。特に安倍氏は11世紀以降、安倍晴明を神格化し、様々な伝説を作り出していきました。

陰陽師の正体

陰陽師は一般に想像されるような神秘的な呪術者というだけではなく、実際には朝廷の官職として厳格な教育と選抜を経た知識人でした。彼らの正体を理解するには、官僚としての側面と、民間伝承で語られるイメージの両方を知る必要があります。

平安時代の陰陽師は、基本的に貴族の子弟か、特に陰陽道に秀でた家系の出身者が就任しました。彼らは陰陽寮という役所に所属し、六位以下の下級官人として朝廷に仕えていました。正式な陰陽師になるためには、陰陽道に関する専門的な知識を学ぶ「陰陽道の家学」を修める必要があり、その教育期間は10年以上に及ぶことも珍しくありませんでした。

彼らの日常業務は、現代の科学者や気象予報士に近い側面があり、天体観測や暦の計算、天気の予測などを行っていました。重要な国家行事の日取りも彼らの占いによって決められ、現代のプロジェクトマネージャーのような役割も果たしていたのです。

実際の技能と知識

陰陽師の実際の技能は、天文学、気象学、数学、薬学、音楽など多岐にわたる学術的知識に基づいていました。例えば、日食や月食を予測するには天体の動きを正確に理解する必要があり、暦を作成するには複雑な計算能力が求められました。また、人々の病気を治すには薬草の知識も必要でした。

特に重要なのは「式盤」と呼ばれる占いの道具を使う技術でした。これは現代の科学計算機に似た役割を果たし、複雑な天体の位置関係から様々な予測を行うために使用されました。また、「六壬式」という占術も重要で、これは現代の確率論に近い概念を含んでいたと考えられています。

伝説と実像のギャップ

現代の小説や映画で描かれる陰陽師のイメージは、主に室町時代以降に形成された伝承に基づいています。安倍晴明が式神を操ったり、狐の子として生まれたという伝説は、実際の史料にはほとんど登場せず、後世の創作が多く含まれています。

実際の陰陽師は、超自然的な能力よりも、当時としては先端的な学術知識を駆使して社会に貢献する実務家であったと考えられています。近年の研究では、陰陽師が行った「呪術」の多くは、心理療法的な効果や、現代の医学では説明できなかった自然現象への対処法だったという見方も強まっています。

陰陽師の役割と職務

陰陽師の役割は時代とともに変化し、多様化していきましたが、主に以下の三つの役割が重要でした。

その1 天体観測と暦づくり

陰陽師の最も基本的かつ重要な役割の一つが天体観測と暦づくりでした。彼らは星や月の動きを観察し、それに基づいて太陰太陽暦(旧暦)を作成しました。この暦は農業の計画や祭祀の日程を決定するために不可欠でした。

平安時代の貴族たちは、陰陽師が作成した暦に基づいて日々の行動を決めていました。『御堂関白記』という藤原道長の日記には、陰陽師が記した暦注(方角や時間の吉凶を示す情報)が赤字で書き込まれており、貴族が暦をどのように活用していたかを知ることができます。

江戸時代になると、暦はさらに重要性を増し、渋川春海によって日本独自の「貞享暦」が作成されました。この時代には全国各地で暦が製作・配布され、陰陽師の主要な仕事となっていきました。

その2 占術と祈祷

陰陽師は様々な占いや祈祷を行い、災厄を防ぎ、人々の平穏を守る役割も担いました。「方違え」という術で悪い方角を避けたり、「式神」を使って悪霊を退治したりする呪術を行いました。

平安時代には特に貴族社会で重用され、藤原道長などの権力者と密接な関係を築いていました。陰陽師の占いや祈祷は、貴族の日常生活から政治判断にまで影響を及ぼすほどでした。

彼らは天文や暦に関する書物や道具を研究し、その知識を方位や時間の吉凶に関する占いやまじないだけでなく、様々な場面で活用しました。陰陽師が行った占いは、個人的な運勢だけでなく、国家の行方を左右するような大きな決断にも影響を与えることがありました。

その3 地域社会への貢献と民間信仰との融合

鎌倉時代から室町時代にかけて、陰陽師の活動範囲は全国に広がりました。武士の台頭により、幕府や武家社会にも陰陽道が浸透し、「鎌倉陰陽師」と呼ばれる新たな集団も形成されました。

興味深いことに、地方では陰陽師の姿も多様化しました。例えば、大分県の宇佐神宮周辺では、僧侶の姿をした陰陽師が活動し、神事や仏事に参加しながら占いや祓いを行っていました。このような地域社会に根ざした陰陽師の活動は明治初期まで続いていたことがわかっています。

江戸時代には最も多くの陰陽師が活動し、都市や農村、公家町や武家屋敷を回って占いや祓いを行ったり、寺社境内で占いや芸能に従事するのが一般的でした。この時代の陰陽師は、現代人が想像するよりもはるかに広範囲に活動していたのです。

陰陽師として有名な歴史上の人物一覧

陰陽道の歴史において、特に名を残した陰陽師たちを紹介します。

安倍晴明 – 最も有名な陰陽師

安倍晴明(あべのせいめい、921年-1005年)は、日本で最も有名な陰陽師です。平安時代中期に活躍し、その卓越した能力から「式神」を操る伝説が生まれました。彼は藤原道長などの権力者と親しく、政治にも大きな影響力を持っていました。

晴明の実像については多くの史料が残されていますが、中世以降には「狐の母親から生まれた」という伝説が語られるようになりました。このような伝奇的な要素が加わったことで、晴明は時代を超えて人気を集める存在となりました。

現在、京都市上京区には安倍晴明を祀る「晴明神社」があり、毎年9月には「晴明祭」が行われています。また、全国各地に晴明にまつわる伝説や史跡が残されており、その影響力の大きさを物語っています。

賀茂保憲 – 安倍晴明のライバル

賀茂保憲(かものやすのり)は、賀茂氏の陰陽師であり、安倍晴明と並ぶ平安時代の著名な陰陽師です。賀茂氏は安倍氏と共に平安後期の陰陽道を二分する主要な家系でした。

保憲は占星術に優れており、天体観測と暦づくりにおいて重要な役割を果たしました。彼の子孫は代々陰陽道を継承し、平安時代から中世にかけて朝廷に仕えました。

芦屋道満 – 伝説的な陰陽師

芦屋道満(あしやどうまん)は、安倍晴明のライバルとして語られることの多い陰陽師です。史実としての詳細は不明な点が多いものの、民間伝承では悪事を働く陰陽師として描かれることが多く、晴明との対決説話が数多く残されています。

道満は強力な魔術を使いこなす術者として伝承され、その伝説は近畿地方を中心に広がっています。「芦屋」の名が示すように、現在の兵庫県芦屋市周辺が彼のゆかりの地とされています。

渋川春海 – 江戸時代の暦学者

渋川春海(しぶかわはるみ、1639年-1715年)は、江戸時代前期に活躍した天文学者であり陰陽師です。彼は中国の暦法を改良して日本独自の「貞享暦」を完成させ、1684年から採用されました。

春海はこの功績により幕府から「天文方」の役職を命じられ、以後、暦学の発展に大きく貢献しました。彼の活動は陰陽道の科学的側面を強化し、近代的な天文学への橋渡しとなりました。

陰陽師がいなくなったのはなぜ?

千年以上にわたって日本社会で重要な役割を果たしてきた陰陽師が姿を消した背景には、明治時代の近代化政策があります。

明治政府は近代化政策の一環として、1872年(明治5年)に太陽暦(グレゴリオ暦)の採用を決定し、翌1873年(明治6年)から実施しました。これにより、それまで使用されていた太陰太陽暦(旧暦)は廃止され、陰陽師の主要業務であった暦づくりが不要となりました。

「明治六年癸酉頒暦」は、日本で公式に発行された最後の旧暦でした。この改暦により、多くの陰陽師が失業することになります。暦の変更は単なる時間の数え方の変更ではなく、人々の生活リズムや文化的よりどころの変化も意味しました。

明治政府は西洋の科学技術を積極的に導入し、陰陽道に代表される伝統的な知識体系を「迷信」として排除する政策を取りました。陰陽師による占いや祈祷は科学的根拠がないとして否定され、政府の公式な認可を失いました。

天文観測は近代的な天文台で行われるようになり、占いや祈祷は神道や仏教の宗教活動として再編成されました。これにより、陰陽師という職業は制度的に消滅することになったのです。

まとめ:現代でいう陰陽師は?

現代日本では、公式な「陰陽師」という職業は存在しませんが、その思想や技術は様々な形で受け継がれています。例えば、方位や時間の吉凶を占う風水や九星気学、六曜などの暦注は、現代でも多くの人に親しまれています。

土御門家の末裔を中心に、古来の陰陽道の儀式や知識を継承する動きもあります。また、神社の神職や寺院の僧侶が、かつて陰陽師が担っていた祈祷や厄除けなどの役割を部分的に引き継いでいます。

現代では、小説、映画、漫画、ゲームなど様々なメディアで陰陽師がキャラクターとして登場し、新たな文化的アイコンとなっています。夢枕獏の小説「陰陽師」シリーズや、それを原作とした映画作品、また2024年4月には山崎賢人主演の『陰陽師0』が公開されるなど、エンターテイメント分野での陰陽師の人気は衰えていません。

これらの作品では、陰陽師は超自然的な力を持つ神秘的な存在として描かれることが多く、史実よりも伝説的な要素が強調される傾向にあります。しかし、このような創作活動を通じて、陰陽道の文化的側面が現代に伝えられているとも言えるでしょう。

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