日本の伝統的な呪術である「藁人形を使った呪い」は、現代でも多くの人々の興味を引く話題です。神社の木に打ち付けられた藁人形のニュースが報じられるたび、私たちは何かしら不安や恐怖を感じます。しかし、この古来からの呪術は科学的に効果があるのでしょうか?
本記事では、文化人類学、心理学、法律の観点から藁人形の呪いについて詳しく解説します。
藁人形とは?

藁人形は、藁を束ねたり編んだりして人間の形を模した人形です。古代中国では芻霊(すうれい)、または芻人(すうじん)と呼ばれていました。日本の歴史において、藁人形はさまざまな目的で使用されてきました。
もっとも知られているのは丑の刻参りにおける使用です。丑の刻(午前2時頃)に神社へ行き、呪いたい相手に似せた藁人形に五寸釘を打ち込む儀式です。この際、藁人形の中に相手の髪の毛や爪などを入れることで、呪いの効果が高まるとされています。
実のところ、藁人形は必ずしも悪意を持って使われるわけではありません。例えば、岩手県西和賀町の白木野地域では、「白木野人形送り」という行事があり、藁人形に集落の厄を背負わせて地域の外に送り出し、無病息災を祈ります。
日光市日蔭では、かつて「虫送り」という行事があり、田畑の害虫を追い払うために藁人形を作って集落の境まで運び、木に縛り付けていました。このように、藁人形は農作物を守るための呪術的な道具としても使われていたのです。
藁人形の呪いに効果はある?
結論から言えば、藁人形を使った呪いには科学的な効果はありません。現代科学の知見からすると、物理的に離れた場所にある人形に釘を打ち込むことで、特定の人物に実害を与えることは不可能です。ではなぜ、このような呪術が長い間信じられてきたのでしょうか?
科学的視点から見た呪術の原理
呪術の理論的根拠として、フレイザーによる「類感呪術」と「感染呪術」という概念があります。
- 類感呪術:「似たもの同士は互いに影響し合う」という原理。藁人形を対象者に似せて作り、それに行った行為が対象者にも影響すると考える呪術です。
- 感染呪術:「一度接触したもの同士は、離れた後も互いに作用し合う」という原理。対象者の髪の毛や爪などを藁人形に入れることで、藁人形と対象者の間に繋がりを作り出すと考える呪術です1。
これらの原理は科学的な因果関係の概念とは相容れません。物理法則によれば、物体同士が作用するためには物理的な接触や場を介した相互作用が必要です。形が似ているという理由だけで、または過去に接触したことがあるという理由だけで、物体同士が作用することはありません。
心理的影響としての効果
藁人形の呪いが「効く」と感じられる主な理由は、心理的な要因にあります。特に「ノセボ効果」と呼ばれる現象が重要です。
ノセボ効果とは、「悪いことが起こる」と信じることで実際に不調が生じる現象です。プラセボ効果(偽薬でも効果があると信じることで症状が改善する現象)の逆の現象と言えます。例えば、呪われたと知った人が強い不安を抱くことで、実際に体調を崩したり、不運に見舞われたりすることがあります。
このように、藁人形の呪いには物理的・科学的な因果関係はないものの、心理的な影響を通じて間接的な「効果」をもたらすことがあります。
なぜ呪術が信じられてきたのか?
科学的な根拠がないにもかかわらず、なぜ人々は呪術を信じてきたのでしょうか?
その理由はいくつか考えられます。
理由1: 人間の本性としての呪術的思考
文化人類学では近年、呪術は「人間の本性として具わった能力」だと考えられるようになってきています。つまり、呪術的な思考や実践は人間が本来持っている性質であり、完全に合理的に行動できない人間の特性の一部だという見方です。
私たちは常に合理的に行動するわけではなく、なんとなく腑に落ちないままさまざまなことを行って日常生活を送っています。その典型が呪術であり、呪術を抜きにして人間という存在を考えることはできないという観点があります。
この視点に立つと、呪術は非合理的な迷信ではなく、人間の認知や行動の一側面として研究する価値があるものだと言えます。
理由2: 不確実性への対処メカニズム
呪術が信じられる第二の理由は、不確実な状況や自分ではコントロールできない事態に対処するためのメカニズムとして機能してきたためです。
人間は不確実性に直面すると不安を感じます。古来より人々は疫病、自然災害、凶作など、様々な不確実性に悩まされてきました。そうした状況で、呪術は不安を軽減し、「何かをしている」という感覚を得るための手段でした。
例えば、平安時代に疫病が横行した際、藁人形を道端に立てて病魔を駆逐しようとしたことが記録されています。これは当時の人々にとって、疫病という不確実で恐ろしい現象に対処するための一つの方法だったと考えられます。現代でも、重要な試験の前にお守りを持つ習慣などに、こうした心理的メカニズムを見ることができます。
理由3: 社会的結束と文化的アイデンティティの強化
呪術や儀式は、コミュニティの結束を強め、文化的アイデンティティを形成する上でも重要な役割を果たしてきました。
日光市日蔭の「虫送り」の事例では、集落の子どもたちが協力して藁人形を作り、運ぶという共同作業を通じて、集落の結束が強化されていたと考えられます。また、こうした伝統行事は、その地域特有の文化として人々のアイデンティティ形成にも寄与してきました。
呪術は単なる個人的な信念ではなく、社会的・文化的な実践として機能してきたのです。そのため、科学的な根拠がなくても、社会的な価値があるものとして存続してきたと言えるでしょう。
過去に藁人形の呪いで死んだ人はいるのか?
藁人形の呪いで実際に人が死亡したという科学的に証明された事例はありません。ただし、この問題を考える上で、法的な観点からの検討も重要です。
法律的には、藁人形を使った呪いは「不能犯」として扱われます。不能犯とは、「性質上、およそ犯罪結果を生じさせるのが不可能な行為」を指します。科学的に考えて「相手に見立てた藁人形にくぎを打つ」という行為は、およそ死の危険を発生させるものとはいえないため、仮にその直後に対象者が死亡したとしても、因果関係は認められず、殺人罪は成立しません。
同様に、何人もの人に対して藁人形で呪いをかけ、その全員が死亡したとしても、科学的な因果関係が立証できない限り、殺人罪には問われないと考えられています。
ただし、藁人形を使った呪いが全く法的問題を引き起こさないわけではありません。以下のような犯罪が成立する可能性があります:
- 脅迫罪:呪いの儀式を撮影したビデオを相手に送り付けるなどした場合
- 名誉毀損罪・侮辱罪:呪いの儀式を公然と行ったり、動画をインターネット上に公開したりした場合
- 建造物侵入罪:多くの寺社は私有地であるため、無断で侵入して藁人形を打ち付ける行為
- 器物損壊罪:神社の樹木などに藁人形を打ち付ける行為
実際に2022年には、千葉県松戸市内の神社の御神木などにロシアのプーチン大統領の顔写真を付けた藁人形が打ち付けられる事件が発生しました。この事件では、男性が建造物侵入と器物損壊の疑いで逮捕されています。
まとめ:呪いは科学できるのか?
藁人形の呪いは科学的には効果がありませんが、人間の心理や文化において重要な役割を果たしてきました。これからも呪術は、形を変えながら人間社会の中で存続していくでしょう。
しかし、いたずら半分や悪意を持って藁人形の呪いを行うことは、相手に精神的苦痛を与えるだけでなく、法的責任を問われる可能性もあります。呪術の文化的価値を尊重しつつも、他者を傷つける行為は慎むべきでしょう。
呪いという現象を通して、私たちは人間の心理や文化の複雑さ、そして科学では説明しきれない人間の側面について考える機会を得ることができるのです。
本記事では藁人形の呪いについて科学的、文化的、法的な観点から解説しました。日本の伝統文化の一部である呪術を理解することで、私たちは人間の心理や社会の仕組みについてより深い洞察を得ることができるでしょう。科学と文化の両面から呪いを捉えることで、より豊かな視点が開けるのではないでしょうか。