卑弥呼は、2世紀から3世紀前半にかけて「倭国」を統治したと伝えられる邪馬台国の女王です。当時、倭国は戦乱が後を絶たず、各地域の首長たちは卑弥呼を共通の女王に立てることで平和を保とうとしたと言われています。たしかに、みんなが従うべき王様を決めるのは良いアイディアですよね。
しかし、卑弥呼の生きた歴史は謎に包まれています。そもそも記録がほとんど残っていないのですから、当時の状況を詳細に把握するのは無理な話と言わざるを得ません。とはいえ、みなさんのなかには、卑弥呼が死んだ理由について知りたい人たちもいるでしょう。
この記事では、卑弥呼の死因について小学生でもわかりやすい表現でなるべく説明しています。また、「日食が原因なのは本当なのか?」という疑問についても言及しているので、日本の歴史に興味にある人たちは参考にしてみてください。
卑弥呼の死因に関する4つの説
さて、卑弥呼は何が原因で死んだのでしょうか?
残念ながら、卑弥呼の死因はわかりません。なぜなら、当時は文字がまだ出来ていなかったので、出来事を記録する方法がなかったのです。そのため、卑弥呼が死んだ理由に関する全ての意見は基本的に事実とは言えない仮説に過ぎません。
ここでは、仮説という前提で卑弥呼の死因として主張されているいくつかの説を紹介していきます。
死因1 巫女の地位が揺らいだ
第1に、卑弥呼は巫女の地位が揺らいだことが原因で死に追い込まれたという説があります。
卑弥呼が亡くなったのは247年或いは248年頃であると言われています。その両年に日食が発生したことがきっかけで巫女としての資質を疑われた可能性があるのです。当時で言えば、日食は理解不能な天変地位であり、不気味な現象だったに違いありません。
日食を恐れた人々は卑弥呼の呪術を疑い、「生贄」として処刑或いは自死に追い込んだという可能性があるわけです。場合によっては卑弥呼の地位を剥奪するために、天変地異が利用されたのかもしれません。
ただし、248年には、日食は起きていないとも言われています。
死因2 新しい王が要求された
第2に、卑弥呼は魏の使者が新しい王を要求したことが原因で死んだという説があります。
当時、邪馬台国は南方の狗奴国との戦いに苦戦していたと言われています。その戦争に終止符を打つために、魏の使いが王の交代を提案したと考えられています。
それによって、卑弥呼は死に追い込まれたというのです。歴史の常として、権力者がその座を追われるときは「死」がもたらされることはよくあることなのです。すなわち、王を交代する理屈として「卑弥呼に問題があるから変更すべき」とするならば、その責任を取らされてしまうわけです。
なお、狗奴国との戦いによって卑弥呼が死んだという説もあります。
死因3 箸が刺さった
第3に、卑弥呼は急所に箸が刺さって死んだという異説もあります。
実のところ、日本の奈良県桜井市箸中にある「箸墓古墳」は卑弥呼の墓であるという説があります。箸墓の由来については、奈良県文化・教育・くらし創造部 文化資源活用課の公式HPでは次のように言及されています。
また「箸墓」の名の由来として、倭迹迹日百襲姫命が夫である大物主神の本体が蛇であることに驚いた際に、箸が陰部に刺さって死に至った、ということが記されています。
奈良県『箸墓古墳』より引用(最終確認日:2024年3年25日)
神話と事実が混ざって物語が生まれるケースもありますから、箸が大事なところに刺さって死んだ可能性も決して0ではありません。もし、箸墓古墳が卑弥呼のものならば、彼女は事故死したと言えるのです。
死因4 老衰した
第4に、卑弥呼は単純に寿命を迎えて死んだという説もあります。
魏志倭人伝には「卑弥呼は長大」という記述が残っていることから、「80歳前後まで長生きした」という見解もあります。したがって、「自然死した」という見方もあり得るわけです。
卑弥呼の死因を特定する手段はない
卑弥呼の死因は邪馬台国を論じるうえでも重要なポイントであるわけですが、当時の記録が残っていない以上、その死因を確定させることは難しいと言わざるを得ません。
例えば、「日食が原因で死んだのは本当なのか?」と問われると、その可能性もあるとしか説明できないわけです。事実、学者の見解は分かれており、考古学的な成果が新規で出てこない限り、卑弥呼の死に関して確定的なことを述べることはできないのが実情でしょう。
卑弥呼の存在を示す『魏志倭人伝』にも、死んだ理由が明確に記されているわけではありません。そのため、さまざまな解釈が生まれています。
参考文献一覧
- 歴史人『謎に包まれている古代の女王「卑弥呼」の死因とは何だったのか⁉』
- 大津透『神話から歴史へ』講談社〈講談社学術文庫〉、2017年12月11日。
- 鳥越憲三郎『倭人・倭国伝全釈』角川文庫〈角川ソフィア文庫〉、2020年7月25日。
- 佐々木宏幹『シャーマニズムの世界』講談社〈講談社学術文庫〉、1992年12月10日。
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