日本史を学んだことのある人たちならば、「卑弥呼」を知らない人はいないでしょう。通常、日本史は、旧石器時代をはじめとして縄文、弥生という時間の流れで学んでいきますから、卑弥呼は歴史を学び始めた人が最初に知る日本の偉人と言っても過言ではありません。
けれども、これだけ昔の話ですから、「卑弥呼が本当にいたのか?」と不思議に思う人もいるでしょう。
この記事では、「邪馬台国の卑弥呼は実在したのか?」という疑問について考察しています。また、気になる卑弥呼の顔写真やイラストの有無も紹介しているので、日本の歴史に興味がある人たちは参考にしてみてください。
邪馬台国の卑弥呼は実在した?
さて、そもそも邪馬台国の卑弥呼は実在したのでしょうか?
結論から言えば、卑弥呼が存在した事実は定かではありません。
中国の歴史書として知られる『三国志』の中に収録されている「魏書」第30巻の烏丸鮮卑東夷伝倭人条、通称『魏志倭人伝』に記載されている内容が事実であるならば、卑弥呼はいたと言えます。事実、日本史の教科書を踏まれると、我が国は魏志倭人伝の歴史性を認めているとも考えられます。
とはいえ、1800年以上も前の記録ですから内容の真偽を確かめようがないのです。日本に現存する歴史書には、卑弥呼がいたことを示す記述は残されていません。そもそも文字がなかったので、記録する術を持っていなかったのです。
今後、考古学的な成果が新たに見つかれば、卑弥呼の存在を客観的に裏付ける根拠が生まれるかもしれません。文字だけではどうしても埋められない歴史の実在を示すには、物的証拠は必要です。日本の遺跡もすべてが明らかになっているわけではないので、見つかる可能性はあります。
卑弥呼の顔写真は存在する?
残念ながら、卑弥呼の顔に関する記録は一切残っていません。
自画像のような資料も出土しておらず、卑弥呼の容姿に関しては想像するしかないのです。
当然ながら、時代状況から言っても、顔写真も存在しません。
卑弥呼のイラスト
なお、卑弥呼のイラストは存在します。もっとも有名な絵画は、大正から昭和にかけて活躍した歴史画家・安田靫彦の『卑弥呼』です。みなさんのなかにも、日本史の教科書で目にしたことのある人たちもいるのではないでしょうか。
卑弥呼は「巫女」という立場だったことからイメージがしやすいキャラクターでもあります。だれも姿を見たことがないからこそ、想像が膨らんでいきます。それは絵画の題材としては、とても面白いと言えるでしょう。
卑弥呼は美人だったのだろうか?
記録が残っていない以上、卑弥呼の容姿はわかりません。これが揺るぎのない答えです。今後、卑弥呼の遺体が出土して、頭蓋骨から顔が再現される可能性も0ではありませんが、1800年以上も前の話ですから現実的にかなり難しいと考えられます。
その前提で「卑弥呼は美人だったのだろうか?」という疑問について考えてみましょう。当然、美人の基準は時代によって変わります。けれども、女王の地位に就いていたことを考慮すると、当時で言う美人だったと考えられます。
分裂状態だった倭国の統一を図るために擁立された女王が見た目が良くない場合、その威光の力が弱まるおそれがあります。当時の政治的リーダーたちがそのようなリスクのある人物を女王に推薦するようなことはないと推察されます。もちろん、これも想像に過ぎませんが、卑弥呼が美人だったほうが都合のよいことが多かったはずです。
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