邪馬台国の九州説がありえないと言われる理由|有力説とする根拠も紹介

邪馬台国の九州説がありえないと言われる理由|有力説とする根拠も紹介

邪馬台国の場所に関しては、これまで「九州説」と「畿内説」という2つの立場で対立しており、歴史に詳しい人たちの間で論争が繰り広げられてきました。現在もなお、決着はついていません。

なぜなら、今から1800年以上も前の時代に関することですから、真実を確定するのが非常に難しいのが実情なのです。それを踏まえたうえで、「九州説はありえない」と主張する人たちは、どのような根拠を持っているのでしょうか?

この記事では、邪馬台国の九州説はありえないと言われる理由を紹介しています。また、九州説を「有力説」と考えている人たちが用いている根拠についても言及しているので、日本史に興味のある人たちは参考にしてみてください。

なお、当メディアでは、特定の立場を取っているわけではありません。

目次

邪馬台国の九州説とは?

いうまでもなく、邪馬台国の九州説とは、「邪馬台国は九州地方にあった」という主張する立場です

具体的な場所に関してもまた諸説ありますが、中国大陸製の青銅器を服装する王墓や吉野ヶ里遺跡をはじめとする大規模な環壕集落が出土した福岡県と佐賀県が有力な候補地として考えられています。

なお、九州説を唱える代表的な人物は以下のとおりです。

邪馬台国の九州説はありえないと言われる理由

しかしながら、「九州説はありえない」と主張する人たちも数多く存在します。その理由には、どのようなものがあるのでしょうか?

ここでは、九州説を否定する代表的な反論を紹介していきます。

理由1 魏志倭人伝の距離感と合わない

第1に、魏志倭人伝の距離感と合わないことを理由に「九州説をありえない」と否定されています

魏志倭人伝には、「郡より女王国に至る万二千余里」という記述があります。この距離を現代の測量基準に当てはめると、九州よりも本州(畿内)のほうが適合する可能性が高いとされています。特に、魏志倭人伝の記述を忠実に再現すると、邪馬台国は畿内にある可能性が高いと考えられています。

理由2 中国鏡がほとんど出土していない

第2に、九州地方では、3世紀頃の中国鏡がほとんど出土していないことから「九州説はありえない」と否定されています

当時の邪馬台国が現在の中国に位置する国々と外交していたのならば、その象徴となる遺物が見つからないのは不自然であるというわけです。

事実、畿内に該当する奈良県周辺では、卑弥呼が魏から受け取ったとされる「三角縁神獣鏡」が見つかっており、これが九州説を否定するロジックとして使われているのです。その他にも、2009年に奈良県の纒向遺跡から大型建物の遺物が発見されたことから「畿内説が有力である」という立場が強くなりました。

ただし、2019年に、中国・河南省にある曹操の墓から鉄鏡が出土し、それが1933年に大分県で出土した「金銀錯嵌珠龍文鉄鏡」に似ていると発表されました。すなわち、金銀錯嵌珠龍文鉄鏡が魏の皇帝から贈られた鏡に含まれているとすれば、九州説の信憑性も増すわけです。

九州説を有力説と主張する人たちの根拠

それでは、九州説を支持する人々の根拠にはどのようなものがあるのでしょうか?

根拠1 北部九州には多くの鉄器が出土している

弥生時代、鉄器は画期的なツールであり、鉄器を多く保有していた勢力が最も強力な国家であった可能性があります。九州は畿内よりもはるかに多くの鉄器が出土しており、これが「九州が当時の最も発展した地域だった」ことを示すとされています。

  • 鉄農具 → 農作業の効率化
  • 鉄武器 → 軍事力の強化

これにより、鉄の供給拠点だった九州こそが邪馬台国にふさわしいという主張がなされています。

根拠2 環濠集落が卑弥呼の居住地に近い

魏志倭人伝には「宮室、楼観、城柵、厳かに設け、常に人有りて兵をもちて守衛す」と記されています。

この記述は、吉野ヶ里遺跡(佐賀県)とよく一致するとされています。

  • **物見櫓の跡(楼観に相当)**が見つかっている
  • **堀と柵(城柵に相当)**が発掘されている
  • 吉野ヶ里遺跡の最盛期が2~3世紀であり、卑弥呼の時代と合致

これらの事実は、吉野ヶ里が邪馬台国である可能性を強く示唆しています。

畿内説との対立に決着はつくのか

畿内説との対立に決着はつくのか?

邪馬台国の所在地について、畿内説と九州説の対立は依然として続いています。

近年の考古学的発見により、纒向遺跡の存在が畿内説を強化している一方で、九州の環濠集落や鉄鏡の出土が九州説を支持する要素として再評価されています。

決定的な証拠が見つからない限り、この論争は今後も続くと考えられます。今後の発掘調査や歴史的資料の再解釈により、新たな展開があるかもしれません。

論争は続く

邪馬台国の所在地を巡る「九州説」と「畿内説」の論争は、未だに決着していません。

  • 九州説がありえないとされる理由
    • 魏志倭人伝の距離と合わない
    • 中国鏡(三角縁神獣鏡)がほとんど出土していない
  • 九州説が有力とされる理由
    • 鉄器の多さ
    • 環濠集落の存在

今後の研究や発掘調査が、邪馬台国の謎を解き明かす鍵となるでしょう。

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この記事を書いた人

DEEP JAPAN QUEST編集部は日本文化に関する総合情報メディアを運営するスペシャリスト集団です。DEEP JAPAN QUEST編集部は、リサーチャー・ライター・構成担当・編集担当・グロースハッカーから成り立っています。当サイトでは、日本文化全般に関わる記事を担当しています。

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